2015.3.15

〜執事「仕える者」になること〜
 本日の礼拝の後、わたしたちは新年度の歩みのために、教会の奉仕の先頭に立って仕える
4人の執事を選出することになります。もちろん選ぶのは人間でありますが、執事を選ばれ立てられるのは主なる神であることを信じています。
 「ディアコノス」(執事、奉仕者)はもともと“給仕する、仕える、世話する”という意味をもっています。すなわち、執事の働きは、その言葉通り「仕える人」です。時には「役員」と呼び、あたかも人の上に立つ偉い人というイメージを与えたりもしますが、聖書の教える「執事」はただただ神の業と健康なキリストの教会形成のために奉仕し、心から仕えてゆく存在です。使徒言行録では「霊と知恵に満ちた評判の良い人」(6:3)と紹介されているほど、執事に選ばれる人は信仰の面、生活の面で模範となることを心がけるべきでしょう。ただ、神と人の前で完全な人は一人もいないこと、皆が許された罪人であることを覚え、励まし合い、支え合うことが求められます。
 わが教会は小さな群れで、働き人も限られている現状ですが、真剣に神の御声に耳を傾けながら執事選挙が決して形式的行事にも、人の好みによる人気投票にもならない、神による祝福の業であることを告白しましょう。シャローム