2015.4.5

『わたしはひとりではない』(ヨハネによる福音書16:25〜33)
 ハレルヤ!死を打ち破り、復活の勝利を遂げた主の恵みが神の家族の上に豊かに注がれますように!
 十字架と復活の信仰はキリスト教の信仰の核となるものです。しかし、人々は死んだ人の復活については首をかしげることが多いです。なぜならば、復活は人の経験や理性的判断の領域を超えているからです。そのため、昔からイエスの復活が本当の事なのか否かをもって論争が続けられてきました。しかし、いくら論争をしても復活は一人一人の信仰の領域であるため合意には至りませんでした。大切なのは、その人が復活を信じているか否かについては、その人の日々の生き方で分かるということです。なぜならば、復活を信じる人は、復活の生活を送って生きるからです。すなわち、「罪と咎のゆえに死んでいた過去」の生活から離れ、イエス様の御心とその愛を心に抱いて生きるように変わり、「何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようか」というこの世のことに心を奪われて生きていた人が、神の国と神の義を先に求めるような人へと変えられて生きていく、また、過去は自分の力に頼り頑張ってきても変えられてからはイエス様に接続され、イエスと共に生きる確信に満ちて生きていくようになることが復活信仰の生きる人の姿なのです。
 私たちの生きている世界において最も恐ろしい敵は寂しさ、孤独ではないかと思います。自分一人しかいない!という孤独を感じた瞬間ほど恐ろしい瞬間はありません。しかし、本日の御言葉の中でイエス様は次のように言われます。(32節)「だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。」・・・どんな状況、世界のすべての人から捨てられてしまっても、「わたしはひとりではない!わたしには天の父が共にいてくださる!」これこそ、わたしたちクリスチャンの根源的力であり、復活の命に生かされている人の信仰告白なのです。そして、イエス様は神の家族が日々の生活の中で直面するだろう様々な苦難や死への恐れなどをよく御存じで、確かな約束の言葉を語ってくださいます。(33節)「しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている!」・・・十字架の上で死に打ち勝った復活のイエス様はご自身が体験されたように、私たちにも同じく「あなたはひとりではない!」と、「わたしはいつまでも共にいてこの世での戦いに勝利者となるようにあなたを助ける!」と約束してくださるのです。