2015.4.5

 〜 信仰告白を思い起こす 〜
 イースターおめでとうございます。人類の罪と死の暗闇を打ち破り、永遠の命の道と神の国への希望の光をくださったイエス・キリストの復活を声高らかに讃美いたします。
 本日のイースター礼拝の中で長男のバプテスマ式を執り行います。いろんな牧師から自分の子どもにバプテスマを授ける時の思いを聞かされてはいたのですが、自分にもいよいよその日が訪れましたね。今も息子は幼いですが、3,4歳の頃から思いがけない神様への信仰を表したりしていたので、信仰こそは親がどうすることも出来ない、ただ神と息子との一対一の関係によるものであることを示されてきたと思います。人々から「牧師の子ども」という評価の上にすでに立たされていて、可愛そうにも思いますが、自らの決断でイエス・キリストを救い主として受け入れ、牧師の子ではなく神の子どもとして新たな一歩を歩み出そうとする息子にエールを送ります。
“主イエスはわたしの罪のために十字架の上で死なれ、死から3日目に甦られ永遠なる命の道を開かれた。”・・・キリスト者にとって復活への確かな信仰告白をもつことがいかに大切であるかを初代教会からの信仰の先輩たちの歩みから見ることができます。“本当に復活がなかったら!イエス様が甦られなかったら!”と復活の確かさを叫んでいた使徒パウロの告白が、イースターと共に2015年度を始めようとする小泉町教会の神の家族とイースター礼拝に集われた方々の心と口から満ち溢れますように祈ります。シャローム