2015.5.10

 『 良い羊飼いと、その羊の群れ 』(ヨハネによる福音書10:11-18)
 聖書には羊飼いと羊についての記述がたくさんあります。詩篇23:1では「主は羊飼い、私には何も欠けることがない」。ダビデは羊飼いの出身です。イエス様の御降誕を最初に告げられたのは羊飼いたちでした。そして、本日の聖書箇所ではイエス様はご自分を良い羊飼いであると言っておられます。
 このみことばが出たのはイエス様がユダヤの宗教指導者とたちと議論になったそのさなかです。イエス様は良い羊飼いが果たす「責任」を話されます。犠牲をともなう責任です。良い羊飼いであれば羊を守るために自分の命をも捨てなければならない。他の囲いの羊でも、群れの中に入れる決断をしなければならない。羊の一匹一匹をよく知っていなければならない・・・この指導者たちが果たしていない大きな責任をご自分は担っておられることをイエス様は示されたのです。
 一方、羊にも責任があります。良い羊飼いに養われる羊でありたければ、羊飼いをよく知り、その声を聞き分け、羊飼いとの関係の中にとどまらなければなりません。そのためには、みことばの中にイエス様の声を聞き取り、また静かな時を持つことが必要です。心を整えて、羊飼いの声に耳を澄ます時を持つのです。そうすれば、指導者や友人を通じてイエス様が語りかけているのに気づくことができます。逆に、聞き入れてはいけない声にも気づきます。
 イエス様に連れられて行くのは見たこともないところ、得意分野とは全く違う奉仕、考えもしなかった変化かもしれません。すべては、わたしたちの良い羊飼いイエス様を知り、イエス様について行くことから始まります。「わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている」わたしたちはこのみことばにより、やすらぎと望みをいただき、「神との関係」という最も大切な関係の中に、生きることができます。
                ― ローラ・フーシー師 ―