2015.5.17

『 聖霊は生きていますか①』(ローマの信徒への手紙8:14〜16)
 聖書に登場する聖霊の最初の記事は「神の霊が水の面を動いていた。」(創世記1:2)という内容です。その後、最初の人間アダムが生きるようになったのも「命の息」である聖霊の業であることが記されています。なるほど天地万物に命をもたらすのが聖霊なのです。
聖霊が登場される聖書箇所を見ると、多くの場面で聖霊による聖め、死んだものを甦らせ、個人や共同体を新しくすることが描かれています。とりわけ初代教会の誕生における聖霊降臨の出来事は圧倒的なパワーを示しています。弱虫であったペトロの変化、迫害者からキリストの使徒に変わるパウロの新生、爆発的に成長し広がる初代教会のエネルギーなど。そのすべてを成し遂げられたのは聖霊です。
 イエス様は聖霊について弁護者、助け主としてこの世の終わりまで神の民と教会と共にいて、一時も離れることはない方であると紹介してくださいました。すなわち、聖霊は聖書時代だけでなくこの世の終わりまで、神の国がこの地に実現する日まで変わらず神の民を守り、助け、用いられるお方なのです。しかし、ある人たちは聖霊の働きは聖書の時代で終わっているとし、聖書が約束している聖霊の賜物や聖霊の実、聖霊の働きなどをタブーとしてきました。
聖書は聖霊を三位一体の神として、生きて働かれる神の霊として教えているのに、人々は聖霊が生きておられるのも、生きて働き助けてくださる方であることも信じようとはしません。なぜならば、「霊」は見えないからです。イエス様時代から目に見えるものと目に見えないものとの信仰的衝突が、聖霊に対しても同じく繰り広げられているのです。考えて見れば、キリスト教会における天地創造も、おとめの出産も、復活も、信じない時代です。しかし、私たちの目に見えないものが存在していることと、目に見えないものによって今生かされていることこそ真実なのです。
 本日の聖書の御言葉で、使徒パウロは「神の霊なる聖霊キリスト者の内に宿っておられる方で、聖霊を受けている人はみな神の子」であると教えます。聖霊キリスト者に父なる神に対して「アッバ、父よ」と呼ぶようにしてくださるお方です。そうです。「聖霊」は人が作った虚像でも、妄想でも、作り話でもないのです。その方は命をもたらし、今も生きてあなたを助け励まし、父なる神との親密な関係へと導くお方なのです。