2015.6.28

『わたしたちの父よ②』 (マタイによる福音書5:43〜48)
 聖書のメッセージを一言で表現しますと、「神は愛なり」ということにまとめられるでしょう。これは創造の時から今まで変わったことはありません。神はアダムとエバを造られ、彼らを祝福し、彼らに愛を注がれました。ところが、神に祝福され愛の交わりに生きていた人間でしたが、サタンの誘惑と欲望に陥り、神に背き、罪を犯してしまうことになり、人は自ら神の愛から離れ滅びの道を選ぶことになります。その結果、神の祝福と愛を受けることができなくなってしまったのです。それにもかかわらず、神は人への愛をあきらめませんでした。神は御言葉を通して人を救う道を示され、預言者たちを通して愛のご計画を告げ知らせられたのです。その救いの道こそ、神の独り子イエス・キリストをこの世に贈られ、十字架の上で人類のすべての罪と滅びを背負わせ、死なせることにあったのです。その神の十字架の愛に感謝し、神の独り子を救い主として信じ受け入れるすべての人に救いの祝福が与えられました。これこそ神の愛、ここに神の愛があるのです。 
 イエス様は本日の御言葉の中で、わたしたちの父こそ「完全なる愛の持ち主」であり、神の子どもたちに父なる完全なる神の愛に生きることを望んでおられる方であると教えます。「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」(44〜45)
 この世界にたった一人しかいない、大切な自分の独り子を手放してまで愛する人がいるでしょうか。わたしたちの父は、大切な独り子を十字架につけて死なせてまでも、わたしたちとの愛の関係を持つことを望んでおられる方。その真の父である神に愛されることを日々味わう中で、わたしたちは自分自身を愛することができ、わたしたちの周りの人に対しても愛する道を進むことになるでしょう。父なる神に愛される体験がなければ、人を愛することも、天の父を人に紹介することもできませんし、愛された者だけが愛する者へと変えられるのです。「だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」(48)という要求は、わたしたちの父の全き愛の中にいつもとどまっていなさいという招きのメッセージなのです。神の家族の皆さん、あなたは知っておくべき「わたしたちの父」についてよく知っていますか。正しく、またはっきりと「わたしたちの父」を知ることの幸いに生きますように…。