2015.8.9

『平和を願い 』(イザヤ書 2:4)
 丁度70年前の今日、8月9日午前11時02分に長崎に二発目の原爆が投下されました。戦後70年、各報道機関は、特集を組んで戦争の悲惨さや多くの人々の悲しみを伝えます。日本は、何故戦争を起こしたのか。国民は、どうして戦争をもっと早く終結できなかったのか。軍部は、特攻までして若き将来ある若者と貴重な戦力を喪失するような作戦で本気で戦局を変えることができると考えたのかなど、太平洋戦争の意味を問いかけます。
 中国侵攻から、戦争は泥沼に足を踏み込むように抜けられず拡大していきました。あの時、私たち日本人は、拡張する戦争を止めることができなかったのです。日本の関東軍は中国満州柳条湖で鉄道爆破事件を謀略し、中国への敵対心を煽り、侵略戦争の口実を作りました。当時は、まだ戦争に反対し平和主義を唱えていた私が所属するYMCAの先輩たちも、1937年8月軍機秘密保護法の制定後、青年友好交流による平和構築を主張することが少なくなり、1938年制定の国家総動員法制定とその理念としての「東亜新秩序」という、一見西欧列強諸国からアジアの平和を守るという思想に、自らの平和主義思想とダブらせ、戦争政策に同調せざるを得なくなっていきます。1941年の太平洋戦争に突入してからは、もはや公然と戦争に反対することは死罪になることもありました。人々は、互いに監視の目を光らせ、戦争を否定するような発言には、「非国民」というレッテルを張ったのです。
 7月中旬に、集団的自衛権行使容認の根拠となる安全保障関連法案が、衆議院強行採決され、参議院に送られることとなりました。
 今キリスト者としてこの事態に対して、どのように向き合うのか。過去の侵略戦争を肯定し、南京虐殺などの戦争犯罪を否定する風潮の中で、戦時中に日本人の父と敵国人であった中国人の母の間に生まれたものとして、私自身の出生から戦争の意味を考えたいと思います。
                                                               島田 茂(現日本YMCA同盟同主事)