2015.9.13

『 平和の福音を宣べ伝える 』(エフェソの信徒への手紙6:10〜20)
 平和な世界への希望を支えるものは何か、それは人々によっていろいろ違うでしょうが、キリスト者としてのわたしたちはイエス・キリストに希望を見出し、キリストにより希望をつなぎます。神を愛し隣人を愛するようにと教えてくださり、御自分がその模範となって、十字架で命を、復活により希望をわたしたちにくださったイエス様。その神の道こそ愛の道であり、人が想像できるいかなるものにも増して大きく、強力な道です。
 同時にこの世界の現実にも直面し、絶望と痛みをおぼえるわたしたちです。この世の中で神のなさる善きことを経験しながらも、悪しき力が同じ世の中を危険で難しいものにしているとも知っています。キリスト教会の人々はその創設時から、キリストの道にぴったりと寄り添っているわけではないこの世の中で、いかにして神の道に忠実に生きるかと、つねにもがいてきました。そこで今日の聖書箇所です。エフェソの信徒への手紙の最後のこの部分で、パウロはこの問題について「神の武具で完全武装しなさい」と言っています。ローマ軍で将軍が兵たちに向かって言うように、パウロも信徒たちに世の中で生き抜き、戦い抜くために「勇を鼓舞して」いるのでしょう。キリストのみことばが広まるのを止めようとする力に対して霊的戦いをするための武装です。
 真理の帯をしめ、正義の胸当てをつけ、平和の福音を宣べ伝えるのを助ける靴を履き、信仰の盾をとり、救いの兜をかぶり、最後に御霊の剣、すなわち神の言葉をとります。これらの神からの賜物を身につけ、用いるならば、わたしたちは支えられ保たれて、世に平和の福音を宣べ伝えることができるーパウロはエフェソの人々にそのことを思い出させます。わたしたちも神の武具を身につけ、深い祈りをもって、言うべきこと、なすべきことに聖霊の導きを求めます。キリスト者としての確信に照らして、世の中が「平和は成し得ない」とか「非現実な夢物語」だと言うその声に負けることなく平和を推し進めるため、心を新たにするときです。 
                ローラ・フーシー宣教師