2015.9.27

 『 誘惑からの勝利 』(マタイによる福音書6:13、Ⅰペトロの手紙5:8〜11)
 「わたしたちを誘惑(試み)に遭わせず、悪い者から救ってください。」(6:13)
「誘惑」(ペイラスモス)という言葉は、「試練」とも「試み」とも訳すことができます。
聖書を見ると、キリスト者が直面する試み(誘惑)を二つの意味で説明しています。まず、神ご自身が神の子どもたちをテストする意味での試みです。その時の試みの目的は、神の子どもたちの信仰を強くする訓練です。使徒パウロがローマ5章で、「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを知っています。」と語っており、また使徒ヤコブ、「わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。」(ヤコブの手紙1:2)と勧めている通りです。
 聖書が語るもう一つの試みは「悪い者」と訳されているサタンが神の子どもたちを倒そうとする誘惑です。つまり、キリスト者を落胆させ、神への疑いと恨みを抱かせようとする試みのことです。「悪い者」サタンはわたしたちの心の中にある罪の本能を刺激し罪に陥れようとします。サタンはわたしとあなたが捕らわれやすい弱さを良く知っています。またわたしたちが何を大切にし、何を嫌うのかなどもです。わたしたちがよく同じ弱さや間違いにつまずいてしまう理由もここにあるのです。使徒ペトロの言葉に耳を傾けましょう。“身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。”(Ⅰペトロの手紙5:8)恐ろしいサタンの攻撃がキリスト者に向けられていることが分かります。サタンの誘惑に対するキリスト者の姿勢こそ、身を慎んで目を覚まして祈りを生きることです。
 イエス様は「主の祈り」を通して、「今日必要な糧と日ごとの赦し」を祈るようにと勧められると同時に、毎日直面する悪い者からの誘惑と攻撃からの救いを祈ることを命じておられます。
 愛する神の家族の皆さん、わたしたちが地上での人生を終える日まで、サタンの誘惑から自由になれる人はいません。99回サタンの誘惑に勝ったとしても、サタンは必ずやってきますし、巧妙な手口で誘惑してくるはずです。サタンの誘惑に打ち勝つために、いつも父の御胸に抱かれていることを信じつつ、絶えず目を覚まして祈り、イエス様の助けと知恵をいただくことです。ハレルヤ!