2015.10.11

『 すべての人に仕える者 』(マルコによる福音書9:33〜37)
 今日の聖書箇所は、イエス様が弟子たちと「宣教の本拠地」であるカファルナウムに戻ってきたときのことです。ここに来るまでの旅の途中、弟子たちの間に言い争いがあったのをイエス様は聞いておられました。グループで旅をすれば、ケンカもあるでしょう。しかし、争いの原因が問題でした。「自分たちの中で一番偉いのは誰か?」彼らは神に付き従うために召された者たち、このまま放ってはおけません。イエス様は、愛する弟子たちに、神の国での信仰とはどのようなものかを教えられます。「いちばん先になりたい者は、すべての人に使える者になりなさい」。ローマ社会の影響を受け、競争でのし上がることを目指して生きてきた彼らには、これは思ってもみない考え方でした。教えを明らかに示すため、イエス様は、当時のユダヤ社会では邪魔者としかされなかった「よその子供」を、弟子たちの集まる中に迎え入れられます。このようにして、イエス様は同じ神の子供である他者に使えることが、実際に神を体験することであり、信仰において大いなる者になることだと示されます。
 わたしたちは、さまざまな社会の出身ですが、職種、学歴、宗教などいろいろな方法で人を定義づけ、特定の見方で見る癖がついています。また、自分が誰かより上だと考える誘惑に陥ります。しかし、社会で重要とされていることは、福音の真実とは異なります。相手に対しては自分のほうが仕える者だと考える、そのように深く愛し合うことを求めて、イエス様は我々を召し出されました。
 最近、シリアからの難民の危機的状況が報道されています。内戦を逃れ、安全を求める人々が、ヨーロッパに何千人と押し寄せています。EUをはじめ世界中の人々の間で、この国際的な危機について対応が話し合われていますが、論争にもなっています。しかし、ドイツで難民の一団が英雄のように迎えられる様子には、福音が実際に行われているのが見いだされます。とりわけ、ドイツのある少年が、自分の持っているキャンディーを難民の子どもたちに差し出したのは、となりびとに仕える行動そのものでした。イエス様が2000年前に弟子たちに教えられたことは、今も生きています。すべての人に使える者となりましょう。隣人を愛し、イエス様を受け入れ、神の国で大いなる者となりましょう。
                  カーソン・フーシー師