2015.10.11

ノーベル賞から考える〜
 実りの季節にふさわしくノーベル賞の時がやってきましたね。物理学、化学、生理学・医学、文学、平和、経済学の分野で全世界において顕著な功績を残した人に贈られる、一年を締めくくる賞であります。 そのノーベル賞の受賞者として、二人の日本人科学者が選ばれたということは大変な喜びであり誇りであります。マスコミでは一日を通してノーベル賞関連の映像を流し、日本中の人々も自分のことのように誇らしげに話し合っていましたね。そういうことから、日本人としてのプライドや愛国心をうかがうことができます。今まで20人を超える受賞者を出したことも驚きです。まさに日本の民に与えられた神様からの賜物であり、力ではないかと思います。
 わたしには一つの夢があります。それは、やがて日本の多くの民が、世界宣教へと出かけていく夢です。日本人のもっている特別な賜物や品性などが、世界宣教に用いられることはいかに素晴らしいことでしょうか。今はまだクリスチャン人口1%未満という現実ではありますが、やがて聖霊によるリバイバルが起こると、人格的、能力的に備えられている人が、世界宣教のために立ち上がる夢です。
聖書には、「誇る者は主を誇れ」(Ⅰコリント1:31)という言葉があります。ノーベル賞でなく、軍事力でもなく、経済力やスポーツなどの世界一ではなく、すべてが主イエス・キリストの十字架の恵みと愛であることを誇れる人を聖書は求めているのです。使徒パウロは家柄、学歴、身分、名誉など、この世において誇るべきたくさんのものをもっていましたが、イエス・キリストに出会った日からそれらはすべて塵あくたのようなものに変わったと告白しています。わたしたちの人間の存在の理由はただ一つ、「神の栄光のため」にあるからです。