2015.11.15

〜 伴走者になる 〜
「伴走」=“マラソンや自転車のロードレースなどで、競技者のそばについて走ること。特に、視覚障害のあるマラソンランナーに伴走する人、競技者のそばについて走り、走路や給水所の位置を知らせ、安全に競技が行えるようにする人のことを伴走者と呼ぶ。(辞典的意味)・・・先週の連盟の定期総会の中で、何度も用いられていた言葉が「伴走者」です。この言葉はこれからの諸教会における若者の信仰の成長のために伴走する大人、また、大人の教会生活を支えるための若者たちの伴走を期待しての姿勢であります。特に連盟の諸教会が直面している信徒の高齢化と信仰継承の問題解決のための一つの道として紹介されていました。
 本日は子ども祝福式。わが教会に与えられている子どもたち一人一人を教会が大切に支え、子どもたちの信仰が教会生活の中で深められ、彼らが神様との交わりと御言葉を通して将来への夢を描けるようになればと願っています。そのため、大人、特に親の思いや計画が子どもを支配することがないように、子どもは神から預けられた宝物、神の家族、キリストの体なる教会共同体の大切な一部分であると認め、支えたいものです。
 日本社会の価値観は目に見える成功、自分自身と自分の家族のことだけのために生きることにあります。しかし、キリスト者としての子どもたち一人一人が、神の御心に適った神の国の価値観を抱きつつ、自分自身を神の国と神の愛のために献身できる尊い働き人へと成長するようになれば、いかに素晴らしいことでしょうか。子どもたち一人一人が、傍らで伴走してくださるイエス様に気づきつつ、喜びと希望溢れる教会生活に励む子どもたちでいることを祈っていきたいものです。シャローム