2015.11.29

『神の時を選ぶ人は幸いです②』 (ルツ記1:6〜12)
 わたしたち人間に与えられている時間は、ある人には70年、80年、それより短い人もいれば、長い人もいます。その与えられた時間に応じて、わたしたち人間は最善を尽くして生きるわけです。時間は繰り返すこともできなければ、練習することもできません。蓄えも、他の人に譲ることもできないのです。人は時間の中で、また時間を通して、時間と共に生きていきます。しかし、その時間に対する権限が与えられていないことに戸惑いを覚えるわたしたちではないでしょうか。
 前回わたしたちは大変な飢饉に襲われたイスラエルを離れ、モアブに移った家族のことを分かち合いました。エリメレクという人とその妻ナオミ、そして二人の息子は飢饉から逃れるために、故郷ベツレヘムを離れ、モアブの地に引っ越します。恐らく彼らの人生の予定には飢饉という厳しい出来事はなかったことでしょう。そこでエリメレクと彼の家族は何の迷いもなく故郷を離れることを決めたわけです。そのような選択はこの世の人の価値観から見たら当たり前のことでしょう。まず、“目の前に襲ってきた危機から逃れれば何とかなる!”と思っていたに違いありません。しかし、わたしたち神の子どもたちには目に見えるものが全てではなく、もう一つの目、信仰の目をもって置かれている状況を見つめなければならないのです。すなわち、今も生きておられる方、決してまどろむことも、眠ることもない方がおられ、わたしたちの人生のすべてを治めておられることを見つめるのです。
 ナオミはモアブの地で愛する夫と二人の息子を失いました。彼女に残っているものはモアブの地で得た二人の嫁だけ!これからどう生きればいいのかと深い悩みに陥っていたことでしょう。ちょうどその時、祖国のイスラエルから神の祝福の知らせが耳に入ってきます。飢饉で故郷エルサレムを離れてきたのに、今は状況が逆転したわけです。その時、彼女は今までの苦しかったモアブでの生活を思い浮かべながら考えたことでしょう。“故郷を離れなければよかった。わたしたちは何て馬鹿なことをしてしまっただろうか!”と。ナオミは故郷に帰ることを決心するわけですが・・・、そこには慕ってくる二人の嫁に別れを告げるナオミがいます。もちろんそこにはまだ若い嫁たちへの配慮の思いもありますが、それよりは今までの間違った選択をした過去をすべて消し去りたかったのかもしれません。
 しかし、わたしたちの間違った選択が残りの人生のすべてを決めつけてしまうことはないのです。もしわたしたちが一度間違った選択をしたとしても、神に立ち返ることでもう一度チャンスがあります。神様はわたしたちの数え切れない罪や咎、反抗、痛み、傷、弱さなどと関係なく、神の子どもたちに幸いな道を備えておられますし、その道を生きるようにと力を与えてくださるお父様です。求められるのは、わたし中心の選択、神を外してしまったこれまでの道から神の方へと向きを戻すことなのです。
 今日からアドベント。神がわたしたちの時間に入って来られた恵みの時、わたしたちから一時も離れることはないという「インマヌエル」の約束を、みどりごエスを通して確かにしてくださった祝福の時なのです。ハレルヤ!