2015.12.20 クリスマス礼拝

『クリスマスの希望』(イザヤ11:1〜9)
 クリスマスおめでとうございます!!!
 預言者イザヤはメシアの誕生を「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで」と語ります。皆さん、エッサイとは誰でしょうか。エッサイとはダビデの父の名前です。それでは、イザヤはなぜ、メシアの誕生を示す「萌えいで来る芽」を、「ダビデの株から」と言わないで、「エッサイの株から」と言ったのでしょうか。その理由こそ、メシアは偉大なる王ダビデからではなく、ベツレヘムという小さな町出身の、名も知られていない一人の羊飼い、エッサイから生まれるという神のメッセージを現すためでした。それほど神の贈られるメシアは、人たちの期待とは裏腹に、小さく、弱く、見栄えのないお姿で来られることを証言しているのです。
 ここで「株」とはどういう意味でしょうか。株とは命の働きが止まってしまった悲惨な状況、完全な破滅と破壊を象徴する言葉です。その通り、メシアであるイエス様は、まったく目立たない小さな町ベツレヘムの、馬小屋の飼い葉桶という最も貧しく、低く、見栄えのない姿で誕生されたのです。ここにわたしたちが抱ける希望があるのです。
 そしてイザヤは、6節〜9節の言葉を通して、イエス様の誕生の目的を夢に出てくる童話のような表現で、神の国の実現に描いてくれます。この箇所を皆さんの頭の中で描いてみてください。「狼と小羊、豹と子山羊、子牛と若獅子、牛と熊、幼子と蝮」、いわば天敵とも言えるような、決して仲良くなれない動物たちが対比されて登場します。しかし、これらの天敵関係の動物たちが、エッサイの株から出た若枝なるメシアの誕生によって、敵意や戦い、殺し合いではなく、真の平和な関係に入ることを宣言しているのです。すなわち、メシアなるイエス様によって実現される「神の国」とは、人間の堕落によって始まった、ありとあらゆる無秩序、弱肉強食、戦争、報復といった悲しい世界、堕落し滅びていた世界の要素がすべて取り除かれ、神が初めにエデンの園を通して造り上げようとされた、完全な平和の関係が実現する場所であることを示しているのです。
 馬小屋の飼い葉桶という、最も低いところで誕生されたイエス様は、全生涯の焦点を今日のイザヤの夢物語の実現に合わせられました。そして最後には十字架の上でご自身の命を捨てられた、その愛によって、神と人、人と人、人と自然の敵対関係を和解させたのです。クリスマスを迎える神の家族、クリスマスはあなたとわたしへの神の愛が示された日、神の国の夢物語が見える形として現れた希望の日なのです。この日を喜び祝いましょう!