2015.12.27

『 幸いな人よ 』(詩編73:28)
 今年は羊年でしたね。聖書の動物の中で最も大切に、また多く登場する動物が羊です。まことに、羊飼いなるイエス様に守られ導かれる羊の群れとして一年を過ごすことができましたね。“主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない!”と歌った詩人の告白を実際に味わえた一年であったことでしょう。
 さて、わたしたちは今年も「幸いな人、幸いな教会」という主題のもと一年を過ごしてきました。神の家族にとってこの一年はいかがだったでしょうか。幸いな人としての一年でしたか。またわたしたちの教会共同体が幸いをもたらす教会であったでしょうか。実は、本日与えられた聖書箇所は今年最初の主日礼拝の宣教の聖書箇所でもありました。なぜ同じ個所を選んだかと言うと、「幸いな人」としての神の家族の再確認をする時としたかったからです。
 詩編73編の詩人は、キリスト者の幸いこそ他でもなく、「神にもっともっと近づくこと」から得られると歌っています。「神に近くあること」とはどういうことでしょうか。この言葉は神との親密な関係を表す言葉です。それでは、キリスト者にとって神に近くあるために求められることは何でしょうか。それこそ神を心の内に、またすべての生活の真ん中に迎え入れること、常に目の前におられる神の臨在に触れ、すべてを御手にゆだねて生きることです。そのような神との親密な交わりが形として現れるのが礼拝であり、祈りであり、賛美、ディボーションの生活なのでしょう。
 この世は、「幸い」を、「目に見える条件や事柄」から探そうとします。お金、学歴、健康、仕事、成功などで人を判断し、幸いをそこから見出そうとしているのです。しかし、キリスト者の幸いは違います。「神に近くあること、日々神に近づくこと」、それがキリスト者の幸いの始まりであり、終わりなのです。そして神に近くある人が人生の苦難に遭う時は、すぐに御翼の陰に身を避けることができます。また、神に近くある生活をする人が日々の生活の中における神の御業を体験し、御業を語り伝える証人として生きることになるのです。
2015年の最後の主日礼拝、この一年、あなたは幸いだったでしょうか。神の家族と共に幸いだった一年間を振り返りながら感謝と喜びを語り合いましょう。ハレルヤ!