2016.1.3

『 起きよ、光を放て 』(イザヤ60:1〜2、マタイ5:14〜16)
 新年、明けましておめでとうございます!!!
 聖書は、神の独り子イエス様が人間を照らす光となるために暗闇の世界に来られたと教えます。そして、その光は暗闇の中で今もなお輝き続けていると、その光を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となり、命の光を持つのだという素晴らしい約束を示してくれます。そしてその約束通り、イエス様は2000年前に暗闇の世界に来られたのです。それなのに、なぜわたしたちの生きている世界は今もなお暗闇に包まれていて、人々は暗闇の中を歩んでいるのでしょうか。
 昨年の世界はISによるテロや度重なる自然災害で恐怖と混乱に包まれていた一年でした。ありとあらゆる葛藤や分裂、憎しみと恨み、争いと戦いが絶えず繰り返されている現状です。人は漠然と「いつかはよくなって来るだろう!」と、「いつか平和な世界に変えられるだろう」と願ってはいますが、目の当たりにしていることは悪くなる一方です。どうすればいいのでしょうか。どうすれば暗闇から解放されるのでしょうか。・・・解決の道はただ一つ、真の光なるイエス様をわたしたちの暗闇の方にお迎えすることです。そのために自分が暗闇の中にいることを自覚し、光の方へと方向を変え、光の前に立つことが求められるのです。暗闇は光が入ってくると消えてしまうものです。いかに小さな光であっても暗闇を追い出すのです。
 そして今日の聖書本文を通して、光の方に方向を変え、光の前に立ち、光を受け入れたキリスト者に向け新たなチャレンジをしています。“起きよ、光を放て。”と。わたしたちは光をもっている者になりました。しかし、問題はわたしたちが大いなる光を心の内側にいただいてはいるけれど、その光を周りの人々に照らしていないことにあるのです。光の子として、また光をいただいている者としての使命こそ、光を放つことなのです。「光を放つ」とは、“真の光なるイエス・キリストの証人として生きる”ことを意味しますし、それを「伝道」と言うことができるでしょう。
 そして聖書は“あなたがたは世の光である。だから、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。”(マタイ5:14〜16)とわたしたちこそ「光そのもの」であることを教えています。光の存在理由は暗闇の中で苦しむ人々に救いの光を照らすことです。2016年、イエス様から示されたビジョン、それは「世の光となる一人のキリスト者、世の光となる教会共同体」となることです。暗闇の中を歩むわたしたちの周りの人々を心から憐れみ、もっている光を隠すことなく、口をもって、また愛の行いをもって輝かすことです。わたしたちの群れを通して光を輝かす神を期待し賛美しましょう。ハレルヤ!