2016.1.3

 〜 すべては御手にゆだねて 〜
 珍しく雪のない冬が続いています。毎年の元旦礼拝の前には必ずと言っていいほど雪かきに追われていたことを覚えているので、最近の雪のない冬になかなか慣れないのが率直な心境です。やっぱり富山に住んでいる者として、雪が降らないというのは冬とは言えないのではないでしょうか。このまま雪が降らなければどうなるでしょうか。スキー場では雪がないと悲鳴をあげていますし、農業やその他の雪と関わる人たちのため息が聞こえてきそうな気がします。
 このようなことで悩むわたしに「余計なお世話だ!」という人もいるかも知れませんし、共感する人もいるでしょう。また多くの人は「それより心配すべきことはたくさんあるでしょう」と言うかもしれません。そうです。わたしたち人は常に思い悩む存在、明日のことで、健康、お金、家族、戦争、テロ、また自然災害など人の領域を超えた問題で悩み続けます。
  2016年の一年の出発の音が鳴り響く今の時、イエス様の御声に耳を傾けたいですね。
“だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。・・・何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。”(マタイ6:31〜34 ) この一年、すべては神の御手にゆだねて、神の家族の群れとして示されている道を信仰と希望と愛をもってひたすら歩もうではありませんか。シャローム