2016.1.10

『 イエス様を探して 』(マタイ2:1〜12)
 クリスマスは12月25日でおしまいではありません。昔から親しまれている「クリスマスの12日」という歌の「12日」とは、クリスマスから翌年1月6日の「顕現祭(公現祭、エピファニー)」までを指します。顕現祭では、いろいろな聖書の箇所に書かれている「キリストの姿が表された出来事」を通じて、神が私たちに御自身を表されたことを覚えます。イエス様がバプテスマを受けられた出来事、ヨハネ書にある水を葡萄酒に変えられたしるし、そしてマタイ書にある本日の聖書箇所です。すなわち歴史的には最初の主の顕現であり、お誕生物語の完結でもある「東方から来た占星術の学者たち」の出来事です。彼らは幼いキリストを探し求め、メシアの姿を露わに見た最初の異邦人となりました。
 ですから、クリスマスが過ぎてもまだ、お生まれになった新しい王様を探しにいくチャンスがわたしたちにはあります。イエス様との初めての出会いを期待する人も、すでに知っているはずのイエス様と新鮮な気持ちでもう一度出会う機会を期待する人も, 目を大きく開いて辺りを見回して探してみましょう。そうすれば、ごく普通のいつもの場所にイエス様が出てこられるのを見出すでしょう。イエス様はわたしたちが家族や友人と囲む食卓にも、礼拝や聖書の学びの場にも、信仰をもって互いに励まし合っているところにも、喜び悲しみ、祈りのそのたびにも出てこられます。
 イエス様を探して見つけるということは、わたしたちの心を開いてイエス様がもたらす変化を受け入れることです。自分自身の生きる日々を深く見つめて、主の贖いを求め、神のみこころに適うために自分の長所や賜物をどのように用いるか探します。イエス様を探せば、そこで見出すのは神です。
 顕現祭の季節の最後の日、受難節の断食に入る前日に供される「王様のケーキ」という伝統行事では、ケーキの中に隠された幼いイエス様の人形を探します。わたしたちも生活のいたるところに出てこられるイエス様をいつでも見つけられるように目を開いていましょう。
わたしたちの光、キリストは来られました。願わくば、わたしたちも東方の学者たちのようにイエス様を探し出し、イエス様の中に常に現れつづける神を祝う人となれますように。アーメン。
                 ローラ・フーシー宣教師