2016.1.24

『人の知恵、神の知恵』(Ⅰコリントの信徒への手紙2:6〜16)
 「幸いな人、幸いな教会」という恵みを知るためにコリントの信徒への手紙を学んでいます。本日は神の霊によって知らされる神の知恵に生きる幸いな教会について分かち合いたいと思います。
 パウロは、神の救いの神秘は、神の霊(聖霊)を通してのみ知ることができると強調します。聖霊は「神の深みさえも究めるお方」(10節)であります。人の心のことは、ただその人のうちにある霊だけが知ることができるのと同じように、神の御心は神の霊だけが知ることができます。聖霊は、神が永遠の昔から抱いておられた救いの計画を知り、それを神の子どもたちに啓示されます。ここで「神の深み」とは、世界の始まる前から隠されていた神の救いの計画、神の御心の奥底にあるものを指します。
 パウロは、わたしたちキリスト者が「世の霊ではなく、神からの霊を受けた」(12節)と語ります。それゆえキリスト者は、「神の知恵」について語ることができるのです。ですからパウロ自身、「人の知恵に教えられた言葉によるのでなく、ただ聖霊に教えられた言葉」を用いることによってのみ、霊的なことを霊によって理解することができたわけです。
キリスト者は心の内に聖霊を迎え入れた人です。聖霊キリスト者のうちに住まわれ、神の深い御心を知ることができるように導いてくださいます。この聖霊によって、この世の人々に愚かに見えるイエスの十字架による救いと贖いの恵みを悟らされ、その恵みに依り頼んで生きて行けるようになるのです。
 「自然の人」(14節)とは、「神の霊を受けていない、生まれながらの罪人としての存在」を指す言葉で、これらの自然の人は「神の霊に属する事柄」を受け入れることはできません。なぜならば、彼らはキリストの十字架が罪人たちに救いをもたらすことを愚かに思い、十字架を通して示された神の恵みを悟ることができないからです。すなわち、神の霊に属することは、霊によってしか理解することができないからです。
 “「だれが主の思いを知り、主を教えるというのか」しかし、わたしたちはキリストの思いを抱いています。”(16節)・・・この世の人々は目で見て納得のいくものだけに価値を置きます。しかし聖霊を受けたキリスト者はむしろ目に見えないもの、納得いかないものに価値を置きます。その理由こそ自然の人が知らない聖霊との交わりのゆえです。
 キリスト者イエス・キリストの贖いによって古い人を脱ぎ、新しい人とされました。神は、聖霊を通してキリスト者に新しい心を与えると約束してくださいます。聖霊によって新しく生まれ変わり、それによって与えられた新しい心で、キリストの内にある神の大きくて深い御心を知ることができます。この聖霊の臨在を身近に感じ、聖霊と共に呼吸する生活をする人、聖霊に導かれる教会こそ、究極の幸いにあずかることになるのです。ハレルヤ!