2016.4.10

『漁に出る 』(ヨハネ21:1-14)                      
 私たちは、ときどきは今やっていることから完全に離れて、心を休める必要を感じます。今日読むヨハネ福音書の箇所で、イエス様の弟子たちもそんな気持ちだったのではないでしょうか。本日の出来事までの何週間かは彼らにとって波乱の日々だったからです。イエス様の十字架上の死と復活を経験した彼らにとっては喜怒哀楽がジェットコースターのように上がったり下がったりの日々でした。ある夜、ペテロと他の何人かの弟子たちは、ガリラヤ湖へ漕ぎ出ました。勝手のわかる昔からの仕事になぐさめと落ち着きを求めたのでしょう。しかし夜が明けて日が昇る時、彼らは予想もしないできごとに遭遇しました。イエス様がもう一度現れ、彼らが本当に求めていた慰め、満足、確信を与えてくださったのです。「自分たちはいったい何者なんだ」と心に疑問を抱いていた弟子たちは、岸から声をかけてきた人をイエス様と知って、岸辺でともに朝食をとることで、その答えを思い出したのです。そう、イエス様の弟子、人間を獲る漁師です。この朝食で、彼らは再び弟子として、出て行って神の国のために人々をイエス様の弟子とする命を受けました。
 私たちもいろいろなことに圧倒される日々を過ごしています。課題に直面する毎日。今自分を取り巻く暗闇から逃げ出したいとひとりで飛び出して、道を見失い希望も失って、「私は一体何なの?」という疑問にとらわれてしまうのです。そんなとき思い出してみましょう。イエス様が自分の過ごす日々のどこにおられるでしょうか、あるいはイエス様に初めて出会ったのは人生のどんな局面だったでしょうか。それを思い出せば、「私は何なのか」という疑問にも、「私たちは神の子供たち、イエス・キリストの弟子」という答えを思い出すでしょう。弟子である私たちにイエス様はどうやって祈るかを教えてくださり、隣人を愛するようにと、飢えた人に食べさせ渇いた人に飲ませ、やもめとみなしごを支え、主の名によって世界中の人を弟子にするようにと教えてくださいました。私たちはイエス様のものなのです。
新年度の新しい日が始まります。イエス様は待っておられます。岸に戻って、イエス様と合流し、ともに漁に出かけましょう。
                 カーソン・フーシー宣教師