2016.5.1

 〜 病床の神の家族のために 〜 
“主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです”(ヨハネ福音書11:3)        
“信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。”(ヤコブ5:15)
 先週は二人の兄弟がそれぞれ手術と感染症の治療のため入院されることになりました。早速神の家族に祈りを要請するメールを送り、電話をかけました。牧師の牧会活動において最も緊張する時、心を配る時こそ神の家族が病気にかかる時です。いかに素晴らしい信仰をもっていようと病気を前にして不安を覚えない人はいないでしょうし、死を恐れない人はいないはずです。一人の病気が及ぼす影響は多大なもので、まずはその人自身、それから家族、知人、そして教会共同体にも及ぶのです。ただし、聖書が教える病気にかかるということが、ただ単純に悪いこと、悲しいことではないこと、かえって神の栄光が現れる恵みとなることを心掛けましょう。
 イエス様は愛していた兄弟ラザロが重い病気にかかっていることを知らされながらも、すぐさま駆けつけることはなさいません。むしろ無視するかのように振る舞われます。マリアをはじめ周りの人々はイエス様の態度から冷たさを感じていたことでしょう。しかしそこには「復活信仰」の確かさを求められていたことが示されています。とりわけ聖書には神の家族に病人の救いのための「信仰に基づく祈りの力の素晴らしさ」を知らせようとされる御心が明らかにされています。2016年度の歩みを始めようとする神の家族の皆さん、「信仰に基づく共同体の祈り」が人を癒し、神の業を成し遂げる力であることを教えようとされる父なる神の計画に応える群れでありますように・・・。