2016.5.22

 『 心を動かされて生きる 』エズラ1:1〜6、Ⅱテモテ3:16)
 キリスト者であれば誰もが聖霊に心を動かされて生きる人であると言えます。なぜならば聖霊によって心を動かされなければ福音を信じることも、イエス様に従うこともできないからです。聖霊に心動かされることで悔い改めに導かれますし、救いの出来事も聖霊が心を動かされる中で起きることになるのです。ですから、この世においていかに頑なな人であっても、聖霊が心を動かしてくださるのであれば、その人は自分が罪人であること、またイエス・キリストが自分自身のために十字架にかかり命を捨て、身代わりとなってくださったと確信し、イエス様と共に勝利の道を歩むことになるのです。
 しかし聖霊が心を動かされる人はキリスト者だけに限りません。“主がペルシアの王キュロスの心を動かされた。”(1節)今日の聖書に登場するキュロス王はペルシア帝国の王でした。異国の王であって、当時世界を支配していた最高の権力者が、聖書の神、イスラエルの神に心を動かされるということは考えられないことです。しかし聖書は主なる神がキュロス王の心をどのように動かされたのかをキュロス王の言葉で次のように証言しています。“天にいます神、主は、地上のすべての国をわたしに賜った。この主がユダのエルサレムに御自分の神殿を建てることをわたしに命じられた。”(2節)と。・・・そうです。その人がどんな背景を持ち、どのような特徴をもっている人であれ、聖霊に心を動かされる人、聖霊に心を動かされ立ち上がる人を通して、神の業が始まり、神の栄光が現されることになるのです。
 また神は神の御心に動かされて生きる一人だけでなく、同じく神に感動し、心動かされている人々を加えてくださいます。キュロス王の心を動かされた神は、今度はイスラエル共同体の心を動かされます。(5節)とりわけ神がキュロス王とイスラエル共同体の心を動かされた目的がエルサレム神殿を建てるためであったと聖書は教えます。神がいかにイスラエル共同体からの生きた礼拝を望んでおられたのかがうかがえます。
 このような聖霊による働きは、今わたしたちが生きているこの時代においても同じです。わたしたちが何か始めようと計画する時、わたしたちを励まし、確かに導かれるのは、まず心を動かされることからです。聖霊がわたしたちの心を強く動かし、確かな信仰と勇気をくださる時、わたしたちはキュロス王のように、イスラエル共同体のように、初代教会の人々のように変えられるはずです。
 今朝、わたしたちの教会が、また一人一人の日々が、聖霊に心を動かされ、感動し、喜んで御心に従うことができれば、神はわたしたちの群れを通して素晴らしい御業を始められることでしょう。