2016.6.26

『 ネヘミヤに学ぶ③ 』〜絶えず祈る人〜(ネヘミヤ記2:1〜8)
“「おお、わが主よ、あなたの僕の祈りとあなたの僕たちの祈りに、どうか耳を傾けてください。わたしたちは心からあなたの御名を畏れ敬っています。どうか今日、わたしの願いをかなえ、この人の憐れみを受けることができるようにしてください。」この時、わたしは献酌官として王に仕えていた。“(1:11)
 祖国イスラエルのためにネヘミヤは涙と断食、御言葉による祈りをささげました。そしていよいよ彼が置かれた具体的な場面をもって神の干渉を祈ります。しかし神はすぐには応えてくださらない。「今日」と願っていたネヘミヤの祈りは4ヶ月も経ったある日に応えられることになります。ネヘミヤの「今日」は応えられませんでしたが、神は4ヶ月という祈りと備えの時間をネヘミヤに与えてくださいました。そうです。祈りはまず待つことから始まるのです。ネヘミヤは4ヶ月という時間を、毎日「今日」という時として受けとめ神の時に備えたわけです。
 いよいよネヘミヤにアルタクセルクセス王の前で神の恵みの計画を話すチャンスが訪れます。しかもそのチャンスはネヘミヤの方からの積極的な声掛けによるものでなく、王からのネヘミヤへの思いやりから始まっていることが目を引きます。王の献酌官であったネヘミヤでしたので、王の前で「暗い表情」をすることはあってはいけないことでしたし、そのことでネヘミヤは危険にさらされてもおかしくない状況でした。しかし、神はネヘミヤが祈った通り、「王の憐れみを受ける」ように王の心を変えてくださったのです。そうです。わたしたちの献げる祈りは人を動かす力があることを覚えましょう。
 とりわけ本日のネヘミヤの祈りの姿から、どんな時に置かれても祈ることを忘れない祈りの人に出会います。「何を望んでいるのか」というアルタクセルクセス王の質問に対してネヘミヤは慌てて自分の望みを打ち明けたり、恐れのあまりその場を避けたりすることはしませんでした。彼のとった行動とは、「天にいます神に祈る」ことでした。王の質問を前にしてわずかな時間しかありませんでしたが、絶えず祈る彼の生活習慣通り、一瞬であっても神の知恵と力を求めて祈ります。このようなネヘミヤの祈りの姿勢は普段身に慣れていなければできないものでした。どんなに忙しく、慌ただしい状況に置かれていても祈りより優先すべきものはないことを心掛けましょう。
 最後に、ネヘミヤは祈りと共に「祈りが応えられることを信じて、次なる備えをする信仰の人」でした。神の働きをするためには「祈り」と共に「祈りのための備え」が求められます。“祈れば何とかなる!”といって何もしない信仰は正しくないでしょう。祈りを知っている人は「祈りと共に祈りが応えられることを信じて備える人」なのです。わたしたちは神が恵みによって導かれることを信頼し、その備えも神の恵みによって行なうのです。わたしたちの祈りはいかがでしょうか。