2016.7.24

『ネヘミヤに学ぶ⑥ 』〜協働の原理①〜(ネヘミヤ3:1〜14)
 本日の聖書箇所では、「さあ、エルサレムの城壁を建て直そうではないか。そうすれば、もう恥ずかしいことはない。」とのネヘミヤの呼びかけに応え、「早速、建築に取りかかろう」といって「この良い企てに奮い立った」イスラエルの民の再建工事がいよいよ始まっていきます。
 特に本日の箇所では、城壁再建工事が北にある「羊の門」から始まって、3節の「魚の門」、6節の「古い門」、13節の「谷の門」、14節の「糞の門」、15節の「泉の門」、26節の「水の門」、28節の「馬の門」、29節の「東の門」、そして31節の「ミフカドの門」まで、西側の城壁、南側の城壁、そして東側の城壁とぐるっと回って進んでいく様子が記されています。そしてそこでは次々にいろいろな職業、立場の人々が工事に参加していることが分かります。ある面、同じような工事の経過が繰り返し記されていることで、少しつまらない印象も受けてしまうことでしょう。しかし、ネヘミヤがここまで事細かく書き残そうとしていた目的と神の御心を探すことで、単なる工事の記事の記述で終わらない恵みをいただきたいと思うのです。ネヘミヤはエルサレム城壁を再建することをただ単純に崩れてしまっていた城壁を建て直すという理解でとどまったわけではなく、これらすべてが「「神が成功させてくださる業であって、神の御心に適った出来事」であるという認識のもとで行っていたのを忘れないことです。
 この城壁再建工事に携わったとして少なくとも15以上の職業に関わる75名以上の人が登場します。1節の大祭司エルヤシブから出発して、ある人々は家族や親族を挙げて、ある人々は同じ地区に住む住民同士を挙げて、またある人々は様々な職人や職種を挙げて、この工事にみんなが取り組んでいたことを記しているのです。すなわち能力のある一部の人だけの業でなく、エルサレムに住んでいた民らがそれぞれ立つべき場所に立ち、全ての人が進んでやるべきことを行ない、共同体全体の調和を成すことで城壁再建が行われたことを証ししているのです。大人も子どもも、男も女も、専門家も素人も、みんなが協働して成し遂げられた業であったことをネヘミヤは事細かに記しているのです。ちなみにネヘミヤ本人の名前は一度も言及されないということも興味深いことでしょう。
 とりわけ本文の中で最も多く登場する言葉が「その傍らでは」という言葉です。この言葉は城壁再建の仕事の順序を表すのではなく、それぞれが、自分が立つべき場所に立って補強作業に当たっていたことを意味します。すなわちエルサレムの民みんながそれぞれ秩序を保ちつつ、互いが協働し、補い合う中でこの偉大なる神の業を成し遂げることができたわけです。私たちの神が望まれることは、いつも共同体が一つとなって喜びをもって行なう協働にあることを心掛けましょう。ハレルヤ!
“何を話すにせよ、行なうにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、
エスによって、父である神に感謝しなさい”(コロサイ3:17)