2016.7.31

 『ネヘミヤに学ぶ⑥ 』〜協働の原理②〜 (ネヘミヤ3:15〜27)
 ネヘミヤ3章の城壁再建の記事の中には少なくとも15以上の職業が登場します。それこそ共同体における「賜物の問題」であります。神の業はそれぞれ違った賜物や職業をもつ人々が一つとなって成し遂げることに意味があるということを教えているのです。そうです。エルサレムの民らは自分たちの職業や賜物に応じて神の御業に仕えることができました。様々な職業、様々な賜物や背景をもつ人々が、神の都エルサレム城壁を建てあげるという偉大なる業に力を合わせることはいかに素晴らしいことでしょうか。
 神は私たちをこの世に贈られた時、一人一人に固有の賜物を与えられました。神よりいただいた賜物をもって私たちは人生をひたすら走り抜き、とりわけ神の国の御業のために私たちの才能や職業をもって献身することを主は喜ばれることでしょう。いつか私たちがイエス様の前に立つ時、イエス様が私たちに必ず尋ねられるのが、「わたしがあなたに与えた賜物と職業をもって最善を尽くして生きただろうか」ということでしょう。その時、皆さんはどう答えられるでしょうか。“忠実な良い僕だ。よくやった。”とイエス様に言われるような私たちであるように・・・。
 とりわけ私たちが注意深く見るべきところは、指導者のネヘミヤが城壁再建に加わっていた人たちの名前、彼らの働きをことごとく記録し、その働きを覚えていることであると思います。恐らく人々は指導者のネヘミヤが自分たちの名前と働きを覚えてくれたことで大いに励まされたでしょう。“誰か自分の働きを覚えてくれる人がいる”ということは大きな励みとなります。私たちの小泉町教会においても、一人一人が互いの働きに感謝しつつ、一人一人の奉仕と働きを覚え励まし合うことができれば、ますます幸いな教会共同体となっていくでしょう。
そこで、ネヘミヤの目に特別に留まる一人の人がいました。20節です。 “続いて、ザバイの子バルクが第二の部分を城壁の角から大祭司エルヤシブの家の入口まで熱心に補強した。”…ネヘミヤはたった一人、バルクという人だけに使われている「熱心に」という言葉、他の箇所ではただ“誰々が、どこどこを、補強した”と記されていますが、バルクだけに「熱心に」という表現を使っているのです。“もちろんすべての人が苦労しましたが、特別にバルクという人の働きは民全体が覚えてほしい!”という願いを込めてネヘミヤは書いたことでしょう。このことがバルクにとっていかに大きな慰めとなったでしょうか。・・・神の家族の皆さん、私たちには温かい慰めと励ましの言葉が必要です。もちろん何か代価を期待してやったわけではありませんが、共同体の神の家族同士で互いに温かい励ましの言葉、一言だけであっても互いの働きを覚え励まし合うことができれば、その共同体はもっともっと強められるはずです。
 いかなることであっても黙々と奉仕する人の手をギュッと握りしめ、、“あなたは素晴らしい!”と主にある励ましの言葉を交わす共同体は幸いでしょう。・・・“どうか同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つ思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。(フィリピ2:2)”