2016.8.7

〜 平和への道 〜
 一昨日から2016リオオリンピックが開会されました。17日間私たちはブラジルのリオから送られてくる映像とメダルの知らせに目と耳と心を奪われることになるでしょう。しかし、ブラジル現地の治安の悪さやジカ熱の恐怖、テロへの不安などの問題を抱えているため、オリンピックが無事行われるだろうかという、心配の声が高まっている現状です。平和の祭典であるべきオリンピックが、争いと不安を広める場となってしまってはいけないからです。
 さて、8月は平和を覚える季節です。世界唯一の被爆国として、日本の国に生きるキリストの教会とキリスト者の生きるべき道を、「平和宣言」の一部を確認することで、もう一度心がけましょう。
“「平和をつくり出す人たちは、さいわいである」と主イエスは、言われる。・・・主イエスによって解放され生かされた私たちは、他者を殺しその存在を否定することができない。殺しのあるところに平和はない。私たちは殺さない。軍備のあるところに平和はない。私たちは、殺すための備えを否定する。戦争に協力するところに平和はない。私たちは、殺すことにつながる体制づくりに協力しない。暴力のあるところに平和はない。私たちは、暴力の正当性を否定する。主に従う教会は、敵を愛し、迫害する者のために祈る。・・・”  
 憲法改正という言葉が、実際の問題として迫ってきている日本社会です。とりわけ憲法9条を改正して「戦争できる国」へと進もうとする安倍首相をはじめとする政治家たち、それに油をかけるように、世界各地で起きている殺し合いや、あらゆる葛藤で満ちている世界的な流れが、日本社会をますます武力による対決へと引っ張っているような気がしてなりません。それでも、私たちキリスト者が声を上げるべきことは、十字架による和解と愛です。今こそ、世界を救う道、真の平和を実現する道は十字架の愛の福音しかないことを、声高らかに叫ぶ時です。シャローム