2016.8.21

『 繋ぎ(つな)合わさる夢 』(フィリピの信徒への手紙2:13、創世記:37:5〜9)
 皆さんは、小さいころ思い描いていた将来の夢を覚えておられますか?それはどんな夢だったでしょうか?もしかしたら子供のころになりかった職業に就き、夢を叶えたという方もおられるかもしれません。聖書にも夢の記述が多く記されていますし、夢をみる人物が数多く登場します。しかし、その中でも夢の人というと、私は真っ先に創世記のヨセフが思い当たりました。ヨセフの生涯は、まさにその夢によって大きく変えられた人生であったといえるのではないでしょうか。この37章から始まるヨセフ物語は、創世記全体の四分の一を占める物語であります。ヨセフを通して成される壮大な神のご計画の始まりは、ひとつの夢で始まります。ヨセフがまず夢を見るのです。ヨセフが、神からの夢を与えられるところから、すべてが始まります。
 本日の聖書箇所のフィリピ書には、私たちが抱く夢やビジョンというものは、神が私たちの内に働き、望ませて下さることが分かります。しかも、それを実現するための行動、行いをも神が伴って下さり、神が、実現に至らせて下さることが分かります。ここでパウロが述べていることは、新約聖書全体に共通する福音の基調であり、神の働きかけこそが、私たちが動きだすことのできる原動力であります。ヨセフに夢が与えられ、神がヨセフと共におり、祝福し、その夢の実現のために長い年月をかけて導かれたように、私たちの心に働きかけ、神様が夢と希望、ビジョンをお与えになり、それを実現するために様々な方法で、神様は導いて下さるのです。人間の内に神ご自身が働いておられるということは、恵みという領域で人が何かを望むのも、その望んだことを行うのも、いずれも神の働きによるのであるということです。その夢に対して、人間の側からもその夢に対する自由な応答、協力、努力を要求されます。
 私たちに与えられた夢は、それぞれ異なるかもしれません。しかし、夢を語り合い、分かち合い、祈り合い、そして一緒に作り上げていくとき、そうすれば、夢は神によって幸いなものへと変えられていくのです。私たちに与えられ、散らばっていたその夢が、まるでパズルのピースが一つずつ合されて、全体の絵が見えてくるように、初めは何も分からなくても、勇気をもって神様と一歩を踏み出した時、それぞれの夢が重なり、繋ぎ合わされて大きくされていくのです。
 今、みなさんはどのような夢をみているでしょうか。そして、信仰共同体である小泉町教会には、どのようなビジョン、夢、将来への希望があるでしょうか?私たちの内に働き、望ませ、行わせて下さる主に期待し、信頼し歩んでいきましょう。                                                 
                  宮田祐亮神学生