2016.8.28

〜 ドラマを映し出す教会 〜  
 17日間に及んだリオオリンピックが終わりました。ほぼ毎日メダルの知らせが届けられたことで、眠れずに過ごされた方も多くおられるでしょう。これこそスポーツが持つ力ではないかと思いますね。特に、今回のオリンピックで取れた41個のメダルが歴代最高だったことは日本人の大きな誇りとなったはずです。もちろん人の目が向けられるのは間違いなく“金メダル”でしょう。しかし今回のオリンピックでは金、銀、銅メダル関係なく、各メダルには素晴らしいドラマがあったことが感動でした。“卓球、レスリング、陸上男子4×100mリレー、体操、テニス、バドミントンなどなど。”・・・種目を全部挙げることができないほど感動のドラマの連続でしたね。
 ここでキリスト者として問うべき質問こそ、“キリスト者としての私の人生は感動のドラマとなっているか”ということではないでしょうか。使徒パウロはフィリピの信徒への手紙の中で、“兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。”(フィリピ3:13〜14)と語っています。
 私たちキリスト者にとってこの世におけるどのような栄華も天の御国で得られる賞に比べれば何の価値のないものであると使徒パウロは教えます。だから私たちのために備えておられる神からの賞を得るためにふさわしい走りを続けることが求められるのです。それはお金や学歴、権力、名誉など、今現在の人々が求めるようなものではないはずです。神の国の価値観は愛。神を愛し、人を愛するために命をかけて走り続けるドラマとなる人生、周りの人々が私たちの映し出す愛と救いのドラマを見て感動し、救いの競争に加わることができますように・・・。シャローム