2016.9.18

 〜 老いを喜んで生きる 〜
 わたしの父は認知症を患っていて、その症状も少しずつ進んでいる状況です。先日の映像通話ではわたしが日本で暮らしていることも忘れていて、ただ末子の顔を映像で見て、声を聞くことで泣きながら喜んでいた父でした。いつも家族のために黙々と働いてきた父。父の感じていただろう責任感の重さと常に最善を尽くしていた姿に感謝します。そのようにいつも変わらない姿で強く私たち家族を支えてくれると思っていた父でしたが、最近はしょっちゅう居眠りをしたり、ぼうっとして外を見つめていたり、母に頼りっきりでわがままな面がよく出てきたりしているそうです。また一人で風呂に入ることもできなくなったり、トイレを忘れたり、部屋を忘れたりするそうです。
 昔から“年を取ると子どもに戻る”と言われていますが、まさにそうです。いつまでも頼りになる存在として、いつでもそこにいてくれると思っていた父は今、少しずつ子どものようになっています。その姿を見るのが辛い人もいるでしょう。しかしある面、子どもになるということは神の国に近くなる神の祝福ではないでしょうか。イエス様が御言葉の中で、“はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。”(マタイ18:3)と言われたことを覚えましょう。今までの人生の中で支配されてきた罪と欲望から解放され、子どものように素直に神の国を心に受け入れる恵みの時なのかもしれません。
 感謝なことに、最近父は母に導かれて毎週教会に行っていますし、家庭礼拝の時を過ごしています。どこに行っても母の手を放そうとしません。父の外なる人は衰えていますが、内なる人は子どものような命と喜びに満たされていることを賛美します。愛する神の家族の皆さん、老いは創造者なる神が人に定められた恵みの時、天国の命を身近に感じられる希望の時です。この恵みと希望に包まれ老いを生きていきましょう。シャローム