2016.10.2

『 輝かしい選び 』(エフェソの信徒への手紙1:3〜14)
この世を生きていく中で、私たちは誰かを選ぶ時もあれば、その反対に、誰かから選ばれる時もあります。そして、この「選び」には、常に理由と目的があります。学校を選ぶ時も、職場を選ぶ時も、結婚する時も、また、ある職務に選ばれる時にも、必ずふさわしい理由があるわけです。人間社会における選びが、これほど大切であるのに、創造者であり天の父なる神が、私たち罪人を神の子どもとして選ばれたことには、それにふさわしい理由と目的があることは確かでしょう。その神が、皆さんと私を神の子どもとして選ばれた理由と目的を、共に御言葉から学びましょう。
 まず、私たちをご自分の前で聖なる者、汚れのない者にするためでした。(4節)
神の私たちへの選びの理由が、神が私たちを愛するがために、“聖なる者、汚れのない者”にされたのです。ここで語られている「聖なる、汚れのない」という表現は、「神に献げられた道徳的・宗教的に完全な状態」であることを意味します。この世の誰が「完全な聖さ」をもつことができるでしょうか。罪人である私たちには不可能なことです。しかし、聖書は「キリストの愛によって」可能になると宣言します。イエス・キリストが、十字架の上で流された血潮による赦しの恵み、その力によって、すべての罪、汚れは消え去り、全く新しい神の子どもが現れるのです。
 次に、私たちを輝かしい恵みをたたえる者にするためでした。(6節)
神から与えられた輝かしい恵みとは、神がその愛する御子によって与えてくださった、代価を求めない恵みのことです。“わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。(7節)”イエス・キリストの十字架から注がれた恵みは、「輝かしい恵み」です。その恵みの輝きに生きる人は、暗闇から解放され、光の子としてのアイデンティティーを生きることになるでしょう。
 最後に、相続者として神の栄光をたたえるためでした。(12節)
これは、父なる神が、私たちを選ばれた最終的な目的です。私たちは、キリストにおいて聖なる者とされ、輝かしい恵みをいただいた相続者、すなわち、約束された神の国を相続する子とされた。恵みの相続者に求められる人生は、父なる神の恵みと、その栄光をほめたたえる「賛美」となることです。神の栄光を現すために選ばれた、「賛美」としての私たちであることを、心がけながら生きることです。                           日々、聖霊に助けられながら、選ばれた者として輝き続ける私たちでありますように・・・。ハレルヤ!