2016.10.9

「『もっとも小さな者』支援への導き」(マタイによる福音書25:40)
 始めに「小さな泉の村」の働きを与えてくださった神様と、支えておられる兄弟姉妹に感謝します。
 世界的に不況の嵐が吹き荒れた2008年12月に、仕事や住まいを失って路頭に迷う人々を支えるため、日比谷公園に「派遣村」が開設されました。同じように富山でも不況の影響を受け、翌2009年1月から仕事や家を失った路上生活者や、生活困窮者を支援するため、月1回の炊き出しをする活動が始まりました。その団体が、「あったか相談村」です。「小さな泉の村」が誕生するきっかけとなった団体です。炊き出しの活動は、2009年1月から形を変えつつも命をつなぐ「食事」&「居場所」となりました。
 話は変わりますが、思春期の頃、なぜそう思ったかをはっきり覚えてはいないのですが「40歳台になったら仕事を辞めて、社会に貢献するために奉仕活動をしよう」と、私は心秘かに思っていました。その後、月日が流れ忙しい日々を送るうちに、そのような思いは心の奥底に埋もれてしまいました。それから、更に月日が流れたある雪の降る寒い夜に、私は富山駅の地下広場で、冷たいコンクリートの上に新聞紙と段ボールで作った狭い空間で寝ているホームレスさんを真近で見て心が痛み、さらに別の日のやはり雪の降る夜に、ボロ布のようなコートを身にまとい、凍える地下道をヨボヨボと歩く、年老いた小さなホームレスさんに遭遇して心が揺さぶられ、勇気を出してその人に近寄り言葉をかけました。
 そして、「はっきり言っておく。私の兄弟であるこのもっと小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである」(マタイ25:40)の御言葉により、この方々をサポートしていこうと思い、たどりついたのが、「あったか相談村」でした。しかし、『あったか相談村』は、2016年3月で活動をやめることになり、自信も何もない私に、その活動を細々と続けていこうという思いが突然与えられたのです。
 ちょうど同じ時、教会では閔先生が教会の働きの一つとして、教会外での慈善活動を考え始めておられたのです。その符合は今思っても、とても不思議な出来事です。そして、その小さな話しから、教会外の働きとして活動をサポートするという方向に話が進んでいくことになり、すばらしい神様の時と導きで、2016年5月14日から「小さな泉の村」という素敵な名前に変えられ、再生しスタートすることになりました。ふり返ると、ほんとうにそれは思いもしないことでした。別々の場所で動いていたものを、神様はそのみ手を動かして「小泉町教会」と「小さな泉の村」を結びつけてくださったのです。そして、この活動を続ける勇気と場所を私たちに与えて下さいました。そこへ至るその一つ一つが必然性を持って、神の秩序の内に整えられ、神様のみ手の内に導かれたことを感謝します。
 神様は、私たちの愛する小泉町教会に集う兄弟姉妹を、「小さな泉の村」の働き手として祝福し、選んでくださいました。それは、小泉町教会が、聖霊と主のご愛に満たされた教会だからだと信じています。    
               S.Y姉