2016.10.16

『 愛は共に希望を描くこと 』 (雅歌2:10〜17)
 今日の聖書箇所の雅歌書は、イスラエルの結婚式の時に読まれる書物です。もともとソロモン王がシュラムの乙女に恋をして、彼女を誘い、幸せな将来を築いていく内容であると言われています。ソロモン王は、愛するシュラムの乙女に手を差し伸べ、一緒に行こうと誘っている。二人の間にはいろんな事情でしばらく離れざるを得なかった時期がありました。しかし、いよいよソロモン王がすべてを整えて、愛するシュラムの乙女を迎えに来たのです。そして声をかけます。“恋人よ、美しいひとよ、さあ、立って出ておいで。”と。・・・皆さん、愛する人と共に手をつないで進む将来はいかに素晴らしいでしょうか。もちろん、本文の言葉のように、人生の冬のように厳しい試練の時が訪れるかもしれませんし、狐たちが私たちの生活を乱すような葛藤の時もあるでしょう。しかし、愛する人が共にいて、その人と手を放さず、一つとなって希望を歩むことで、二人は豊かな喜びと幸せを描いていけることになるのです。
 聖書の記者は、ソロモン王を神様であると、シュラムの乙女をわたしたちキリスト者であると、その関係を説明しています。花婿なる神は、私たち一人一人を恋人として、交わりの場、共に喜び楽しむ場へと誘っておられます。大切なことは、愛する人の招きに応えることができず、今置かれている人生の冬のような寒さに負け、狐たちの妨げに振り回されてしまっていてはならないのです。とりわけ、私たちが神と最初に恋した時の感動を回復すること、そして、その愛を10年経っても、いや20年、30年、50年経ったとしても、その愛への感動とその時の興奮を忘れることなく、繰り返し思い起こすことです。また、その愛の交わりを生活の中で実践していくことによって、私たちの毎日はイエス様との新鮮な愛の関係を築けることになるでしょう。
 私たちの愛する神は、あなたと私と愛し合うために、神ご自身が人となって天からこの地に降って来られました。それが神の独り子がお生まれになったクリスマスの出来事です。そして、独り子なるイエス様は、30年間の生涯を通して私たち人間社会の中に入って来られ、一人一人の弱さも、汚さも、醜さも、すべて愛の中に受け入れて抱きしめてくださいました。そして、最後には十字架を通して命をかけた愛の究極の形を示してくださったのです。
 イエス様は、今日も十字架の傷跡の手を差し伸べながら私たちを招いておられます。“恋人よ、美しいひとよ、さあ、立って出ておいで。一緒に行こう”と。そのイエス様の十字架の愛の招きの手をしっかりとつかむことです。そして、イエス様が描いておられる神の国への希望をあなたと私に語りかけておられます。
 願わくは、イエス様の招きに応えつつ、周りにいる貧しき者、暗闇の中で苦しむ者、小さく弱い者らに手を差し伸べ、イエス・キリストを紹介できる私たちでありますように・・・。ハレルヤ!