2016.11.13

〜ロックドアウト〜
 車の中にキーを置いたままでロックしてしまったり、オートロックになっているホテルの客室で鍵を持たずに部屋を出てしまったり。その締め出された状態のことを私は「”ロックドアウト”された」なんて言っています。
 そして、つい先日、私は”ロックドアウト”されてしまったのです。近頃、公私共に忙しい中、気持ちも態度も高ぶった状態になっていた私は、土曜日に休日出勤し、おそらく”どや顔”と言われているような形相で仕事を終え、事務所のドアをバン!と締め・・・ロックドアウト! 帰りに施錠しなければならないビルの入口の自動扉の鍵、帰宅する車のキー、我が家の玄関の鍵は、私に鍵をかけられた部屋の扉の中に置き去り・・・。私は寒い廊下にポツリと独り、「秋の日はつるべ落とし」とはよく言ったもので、心と一緒にあたりも暗く、冷え込んでいく中、泣く泣く同僚に連絡をとり、助けに来てもらった惨めな私。高ぶり、”どや顔”だった私は消えた・・・あ〜思い出したくない!
 最初、高ぶった私に愛の鞭を打たれた神様の話を書かせていただくつもりでしたが、ペンを執る段になり、ロックドアウトされた惨めな私は、神様をロックドアウトして締め出している愚かな私だったじゃないか!と、気付かされました。
 それなのに、ロックドアウトされたときに私の手元に携帯電話を置いてくださっていた神様は、なんという情け深いお方なのでしょう。私は永遠の「神様の愛」をすぐに消えてしまう朝の露のようにしてしまっていました。(ホセア書6章4節…先週のメッセージより)
この原稿をお受けし、ひとつ気付くことができたことに感謝しています。神様は寒く暗いところで、両手を広げて待っておられるのかな…
 神様、ありがとう。ごめんなさい。
                 K.I姉