2016.11.20

『小さな群れよ、恐れるな 』ルカによる福音書12:31〜34)
 2000年前、イエス様を慕い求めてきた人たちは数えきれないほど大勢いました。しかし、実際にイエス様に従い、神の国を求める弟子たちは小さな群れに過ぎませんでした。12名の小さな群れであった弟子たちは、自分たちの目に見える小ささのゆえに不安を抱き恐れていたことでしょう。ここで「群れ」と訳されている言葉は元々「羊の群れ」を意味します。ですからイエス様が弟子たちを「小さな群れ」と呼ばれていたのは、彼らを弱々しい羊の群れと同じように見ておられたことでしょう。羊の群れは羊飼いがいなければ何もできないからです。
 人は大体自分自身が多数の群れに属している時に安心感を覚えます。しかし自分が目を引くことのできない小さな群れに属していると常に不安と恐れにさらされるようになります。これから弟子たちに迫ってくるだろう苦難と迫害、食べることと着ることなどで不安が広がり、恐れに捕らわれてしまう・・・。これは今現在の日本社会においても変わりはないでしょう。圧倒的なこの世の壁を前にしてキリストに従おうとする人たちは小さな群れに過ぎない。
 しかしそこでイエス様の言葉が弟子たちの小さくなった心を揺れ動かします。「小さい群よ、恐れるな」。「恐れるな」という言葉は聖書全体を貫通する、神ご自身が、神の民への約束の言葉として、「神が共におられるから恐れるな」という意味になるのです。真の羊飼いであり全能者なる神が共にいてくださるのであれば、たとえどんなに小さな者であっても大いなる力を発揮することができるはずです。それだけではない。イエス様は神の国を信じ、神の国への希望と期待をもって生きる小さな群れを喜ばれるお方であると紹介しています。
 次に、イエス様は神の国にふさわしい者になるための二つの命令を示しておられます。まずは、「自分の持ち物を売り払って施しなさい」ということと、「富は天に積みなさい」ということです。「施し」とは旧約聖書から信仰共同体に求められる大切な愛の形です。この世の富とは、神から与えられたものであり、神に返すべきものです。ですから、貧しい人への施しは神への信仰の現れであり、神と人への愛の現れであるのです。また、「富を天に積む」とは、私たち人が最も大切にしている富を、神の御心に適うところへ、すなわち神の国のために用いることを意味します。そして「富を天に積む」具体的な形として示されているのが「施し」なのです。
 私たち小泉町教会の小さな群れは今日の礼拝後、小さな者たちへの施しに参ります。これはただの人に見せるための慈善活動ではありません。イエス様の約束に基づいた神の国への信仰による施しであって、天に富を積む恵みであることを心にしっかり刻むべきです。イエス・キリストはご自身の体と血を貧しい人たちのために施してくださいました。そのことによって神の国を実現することができたのです。小泉町教会の小さな群れもイエス・キリストに倣い、神の国を日々の生活の中で味わい、神の国の祝福に与りますように・・・。ハレルヤ!