2016.11.27

『戸を叩いておられる主』 (ヨハネの黙示録3:14〜20)
 アドベントの季節がやって参りました。アドベントとは「到来する」という意味で、クリスマス前日までの約4週間を待降節として、神の独り子が人の体をもってこの世に来られることを待ち望み祝う時であります。昔にはこの期間はバプテスマを受けるために備える時として、イエス様の苦難を覚える受難節と同じく、断食しながらキリストの来られるのを悔い改めながら待ち望む時として守られていました。しかし、このように大切な意味のあるアドベントが、近年になってクリスマスの商売合戦のための人の欲望が前面に表れる時となってしまっているかもしれません。救い主の誕生の真の意味がサンタクロースや華やかなイルミネーションなどに埋もれてしまっている現実です。
 クリスマスは、「待たれる神」と「待つ人々」の物語です。ですからアドベントこそ、神がこの世に来られることへの神の意志が現れた時であり、神の民たちにとっては、神が来られるというクリスマスのプレゼントを心から待ち望みつつ、心と生活を聖く整える時であるのです。
 そこで、示された御言葉が本日の聖書箇所です。待っている人々の人生の戸口に立って、戸を叩いておられる救い主の声が聞こえてくる。 “見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。(3:20)”
 この箇所における戸は、永遠に通じることができる扉のことを意味します。堕落する前の人間には、神とつながれる通路として、この扉が大きく開かれていて、いつでも創造者なる神と出会い交わることができていました。しかし人間が罪を犯し堕落してからは、この扉は固く閉ざされ、永遠なる神の国から断絶され忘れられていたわけです。
 しかし、いよいよ時が満ち、私たちの忘れられていた神とつながる命の戸口に立って叩いておられる方が来られました。「叩いている!」とは、そこに今まで忘れられていた命の扉があるということを悟らせてくれることですし、断絶されていた永遠の神との交わりの回復を告げる印となっているのです。
 ここで、ぜひ知っておくべきことは、イエス様が私たちの心と魂の戸を叩いておられるのは、私たちを拘束するためでなく、真の解放と自由を告げるためであり、イエス様との愛の交わりの中で永遠に生きる者にしてくださるためであるのです。ですから、戸を叩く音を聞いて、イエス様を受け入れた人は、今まで失われていた神の子どもとしての父なる神との交わりが回復され、永遠に幸いな人生を生きることになるのです。ですから、恐れることはありません。必要なのは、イエス様の戸を叩かれる声に敏感になること、喜びと期待をもって戸を開き、あなたの人生の中に受け入れることです。アドベントが始まる今日から救い主との新しく親密な交わりの恵みがあるように祈ります。