2017.1.1

〜 イエス様の軛を負いつつ 〜
 2016年の歩みも昨日で終わりました。52回に亘った主日礼拝が毎週毎に注がれる聖霊の恵みに満たされ、神の家族お一人お一人の信仰と心の一致によって神の体なる教会はしっかりと建てられてきたことを感謝します。
 昨年の終わり頃、聖句板を新しく塗り直してからでしょうか。神は次々と疲れていた人、重荷を負っていた人、病んでいる人など、弱さを覚えている人をわが群れに送ってくださいました。その一人一人との出会いの中で、これらの出会いは偶然な出来事ではなく、わが群れに求めておられる御心があることを感じました。それこそ、“疲れた者、重荷を負うものは、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる”という御言葉の成就でした。
 疲れた人が、重荷を負っている人が、病んでいる人が、私たちの小さな泉で安息と癒しと励ましを得、イエス・キリストとの交わりの中で変えられる望みを抱きつつ、信仰の旅を始める2017年になりますように。何より神の家族お一人お一人がイエス様からの軛を負うことの恵みと祝福に与ることからでしょう。あなたの疲れ、あなたの負っている重荷をイエス様の前に降ろし、それらに替えてイエス・キリストからの軛をいただくことです。その軛とはイエス・キリストの十字架による癒しと安息、自由、平和、正義、愛の軛です。しかもその軛はあなただけが負う軛ではなく、イエス様と共に、イエス様に学び、イエス様に助けられながら負える軛であることを忘れないことです。
 今あなたが負っているものが何であるか確かめてみましょう。イエス様の軛でしょうか。未だあなたを苦しめてきた疲れや重荷を負ってはいませんか。イエス様の軛を負う幸いを生きる2017年の歩みであるように…。シャローム