2017.2.19

『 お言葉ですから 』ルカによる福音書5:1〜11)
 シモンは一日の漁を終えて舟を岸に上げ、網を洗っていたところでした。イエス様が彼の方へと近寄って来られたのです。そして、イエス様はシモンに、「岸から少しだけ漕ぎ出すように」と頼まれます。
 しかし、この時のシモンの心身の状態は、前の日から夜通し漁をしていたけれど、魚一匹も取れなかったために、体もクタクタ、心は失望と無力感に包まれていました。そんな彼のところに「イエス」という若いラビ(先生)が来て、舟に乗せてほしいというわけですから、嫌な気分になっていたのかもしれませんね。
 そこで、シモンは舟を岸から少し漕ぎ出したところで、舟が流されないようにイエス様の横に立って支えていました。そしていよいよ、イエス様の話が始まります。漁の疲れもあって、最初はあまり興味を示さなかったシモンの心が、イエス様の御言葉が叫ばれる中で、徐々に動かされるようになります。その時のイエス様の教えられた御言葉が、どんな内容であったかは定かではありません。しかし、その時のイエス様の言葉が彼の心を動かしたのは確かでした。
しばらく続いていたイエス様のメッセージが終わります。そして、ちょうどその時でした。イエス様は突然、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われます。実のところ、シモンは漁のプロです。ガリラヤで生まれて、生涯、漁をしながら成長し、今現在も漁師として生きている者です。しかも、ガリラヤ湖での漁は、夜の間に行うことが常識であって、明るくなると漁ができないのが常識でした。ですから、今、イエス様の言われることは、非常識なことだったわけです。おそらく、私をはじめ多くの人がこの場面に立たされたら、「イエス様、違いますよ。ガリラヤ湖での漁の時間は夜ですよ。非常識なことは言わないでください!」とキッパリ打ち切ったことでしょう。
 しかし、その時のシモンの言葉は驚きです。「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」(5節)…「お言葉ですから!」、イエス様の命じられた言葉が、私の常識や経験と相反することではあるけれど、しかし、あなたの言葉を信頼して、一度チャレンジしてみましょう!という言葉です。もちろん、まだはっきりとした信仰があっての言葉ではなかったでしょう。それでも、イエス様の言葉に心動かされたことを頼りに、信仰のチャレンジを始めることができたのです。そして、シモンがイエス様の命じられた通りに従ったところ、舟に入り切れないほどの魚がかかり、自分一人では受け止めきれないくらいの大きな恵みを体験することができたことを御言葉は証言しています。
 今日、シモンを訪ねて弟子とされたイエス様は、私たちを訪ねてくださいます。そして、私たちに声をかけてくださいます。その時、私たちはイエス様をどのようにお迎えすることができましょうか。「お言葉ですから!」イエス様とシモンの出会いを祝福へと導いた言葉をもって、信仰による一歩を踏み出すことのできる神の家族でありますように・・・。