2017.3.5

〜 おバカさんたちの行進 〜
 文学作品の中でしばしばイエス様のことを「おバカさん」と表現したりします。イエス様は神の身分でありながら、ご自身を無にして僕のようになり、しかも人間と同じ者になられた。その理由こそ、ご自身が創造された人間を愛したから。愛する人が罪の中で滅びていくことに耐えられず、人間になられたイエス様は、弟子たちと貧しき者たちのためにご自身を与えられ、最後は十字架の上で血を流し、命まで捨ててくださいました。そのイエス様の贖いの死によって神の愛が示されたのです。
 しかし不思議なことは、十字架のイエス・キリストに出会った人たちにもイエス様と同じ姿が見られるということです。誰からも強制されたり頼まれたりしてないのに、彼らはイエス様の無条件の愛(アガペー)に倣い、自分の持っているものを隣人に分け与え、イエス・キリストを伝えるために進んで苦難と迫害を引き受け、神の国と隣人のために死ぬことさえも喜んで受け入れるように変えられていきます。なぜならば、イエス様の十字架の愛と恵みを知ったからです。その愛と恵みを無駄にすることができなかったからです。アフリカの聖者と呼ばれるシュバイツァーがそうですし、インドのマザー・テレサが、マーティン・ルーサー・キング牧師がそうでした。まさに彼らは「おバカさん」でありましたし、そのおバカさんの先頭に立って歩まれる方こそ「イエス・キリスト」なのです。
 受難節を過ごしている私たちです。願わくは、神の家族お一人お一人もイエス・キリストの十字架に感動し、各自に与えられている十字架に背負い、「おバカさんたちの行進」に加わる恵みを味わいますように・・・。シャローム