2017.3.12

『 主はわたしの羊飼い 』 (詩編23:1〜6)
 あっという間の3年間の学びを終えて、いよいよ牧会の現場へと遣わされようとしています。小泉町教会の神の家族の皆さまにはこれまでの多大なるご支援とお祈りに心から感謝いたします。振り返りますと神学校での学びは険しく、厳しい道のりでした。その中で自分の弱さと限界を知り、自分と向き合いながら整えられていったのだろうと感じています。その中で改めて神と自分と一対一の関係性を見出します。神学の学びの中で主と再び出会わされていくのです。
 本日の聖書箇所、詩編23編ほど多くの人々に愛され、親しまれている箇所はないのではないでしょうか。皆さんの中にもこの箇所が大好きだという方がおられるかもしれませんし、もしかしたら何も見ないで詩編23編を暗唱できる方もおられるかもしれません。詩編は聖書の中でも最も長い150編で構成されています。そこには神への賛美や神への助けを求める祈り、また神への信頼を表す詩などがはいっており、悲しみと喜び、疑いと信頼、痛みと慰め、また、絶望と希望、怒りと安渡、さらには、復讐心や赦しといった、まさに人間のありとあらゆる感情が表われています。そして詩篇は祈りと賛美によって生活のすべてを神さまと分かち合うように私たちを招いているのです。
 聖書には神と人間との関係を、弱い動物である羊飼いと羊の関係に例えている場面が多くあります。まさにこの詩編23編はその代表例と言えるでしょう。では私たちは神さまとの関係は一体どのような関係性をきずいているでしょうか。ダビデはその苦しみの中でどのような信仰を与えられたのでしょうか。羊飼いなる主に招かれ、主の家にわたしは帰り、生涯、そこに留まるという決断をしたいと思います。わたしたちに注がれている神の恵みといつくしみを覚えて、これからもただ一人の主に従い、神さまが真実な愛と平安をもって共にいてくださることを信じて歩んでいきましょう。
                                  宮田祐亮神学生