2017.6.18

『 バランスのとれた礼拝者 』ヨハネによる福音書4:23〜24)
 私たちはこの6月、ペンテコステ礼拝を中心に、主の教会における聖霊の働きと祝福を分かち合ってきました。 まことに聖霊天地創造の時から神と共に働かれ、神の民の上に臨まれることでイスラエルの歴史を導かれました。またイエス・キリストの誕生から公生涯、十字架、復活を通して共に働かれ、神の国の業を成し遂げられたことを聖書は描いています。そしていよいよ、イエス様が約束された通り、ペンテコステの日に初代教会の弟子たちの上に聖霊が降り、教会に命と力を与える聖霊の時代を開かれたのです。その後、聖霊イエス・キリストを信じ、心と人生の中に受け入れたすべての人のうちに住まわれるようになりました。そして聖霊との交わりを喜び、日々聖霊に満たされたいと願う人を生きた礼拝者と呼ばれ、その礼拝者を通して神の栄光を現わしてくださいます。 
 本日の聖書箇所は、「生きた礼拝と礼拝者」について紹介してくれる大切な聖書箇所です。イエス様は、真の礼拝とはある時間と場所に限ることではないこと、何より礼拝者の生活、礼拝者の存在と人生そのものが真の礼拝であって、そんな中での聖霊様との交わりを通して捧げられる礼拝を主が喜ばれることを教えておられるのです。とりわけ私たちがどんな形の礼拝をささげるとしても、その礼拝が「霊(Spirit)と真理(Truth)をもって」ささげる礼拝であれば、その礼拝は神に喜ばれる生きた礼拝となることを宣言しておられます。
 そうです。私たちの献げる礼拝が、「霊と真理」が一つとなる礼拝であることで、私たちは感動と恵みに満たされ、成長と成熟を味わうことになるのです。「霊と真理」この二つの要素は、まるで+と−が合わせられて初めて電気を作れるように、この二つのうち、一つだけが強調されたり、もう一つを粗末にしてしまうのであれば、私たちの礼拝は真の礼拝からくる力と命をいただくことはできないのです。
 主イエスが望まれるのは、バランスのとれた教会とクリスチャンであることを心に刻みましょう。その中でも、本日の御言葉の教えである「霊と真理をもって」礼拝することにその鍵であると言えましょう。まず、頭は神の御言葉にいただくことで、常に主を知る知恵と確信に満たされながら、また、心は聖霊に熱く燃えて祈りに励み、聖霊による聖さを保ち、聖霊の導きに生きる礼拝者の姿。あなたは「霊と真理」のバランスの取れた礼拝者ですか。また、私たちの教会は、「霊と真理」のバランスの取れた礼拝を主に献げているでしょうか。
愛する神の家族の皆さん、私たちを礼拝の場へと導くのは、イエス・キリストを通して示された真理の御言葉です。そして、私たちを真の礼拝者へと導く力こそ聖霊です。聖霊は私たちを神の生きておられる臨在へ、私たちを悔い改めと回心へ、新しい創造へと導かれるでしょう。ハレルヤ!