2017.6.25

『 手を差し伸べる主イエス 』 (マルコによる福音書1:40〜45)
 イエス様が生きておられた時代、一人の人間の人格を尊重するという文化や思想はあまり見られませんでした。もちろん、社会的、宗教的に高い地位についていた人は別として、ほとんどの人たちはイスラエル社会と生活の中で人々から「尊重される」ということは大変珍しいことでありました。
 とりわけ病の中にある病人や社会的に差別を受けていた人たちは、自らのことを「尊重されるべき存在」とは到底考えられませんでした。もちろん、イエス様に出会った人の中にはニコデモやアリマタヤ出身のヨセフは人々から尊重される社会的地位をもっていた人もいましたが、実際イエス様に愛され、イエス様が交わってくださった対象はそのほとんどが社会的・宗教的に見捨てられた人々でした。
 盲人で物乞いのバルティマイ、娼婦であったマグダラのマリア、徴税人であったマタイとザアカイ、汚れた民であったサマリア人の女、また悪霊に捕らわれていた人々、重い皮膚病を患っていた人々など。当時のイスラエル社会において蔑まれ、いじめられて当然の人々を訪ねられ熱く交わっておられたことを聖書は記しています。そのようなイエス様のお姿に、人々はイエス様が罪人の家に入り、罪人らと食事を共にし交わっていると非難し訴えました。その時、非難する人々に向けられたイエス様の言葉は大きな響きとなってイスラエル社会を揺れ動かしたのです。
 「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」(ルカ5:31〜32)
 本日御言葉に登場する重い皮膚病を患っていた人は当時のイスラエル社会のうち、最も悲惨な存在、人々から見捨てられた存在でした。彼らはエルサレム城の外側の定められた場所に隔離されていて、健康な人のグループに入ることが許されませんでしたし、彼らに近づくこともできませんでした。もし重い皮膚病の人に近づいたり、触れたりした人も同じく汚れてしまうことになったからです。
 しかし、イエス様は彼らが近づくことを拒んだことがありませんし、自ら進んで近づいて行かれたと聖書は記しています。それだけではない。イエス様は彼らを「深く憐れんで、手を差し伸べて触れて」くださいます。汚く悲惨な重い皮膚病の上に手を差し伸べ触れてくださり、癒してくださるイエス様の姿には、一人一人神に造られた人の尊さを回復しようとする神の熱情が見えます。そうです。イエス様の前に近づけない人も、その御手に回復させられない人も一人もいないはずです。イエス様は今もあなたを癒そうとし、神からの尊さを回復しようとされることを期待しましょう。 そしてイエス様の御手に触れていただくためにもう一歩近づきましょう。主はあなたを癒し、あなたを通して救いの御業を成し遂げられることでしょう。癒し主なる主イエスを賛美し証ししていきましょう。ハレルヤ!