2017.7.9

『 生きて働く御言葉 』 (イザヤ55:8〜11)
 雨が続く梅雨の季節です。梅雨こそ神が日本の国に与えてくださった祝福であります。この梅雨の季節にふさわしい御言葉です。イザヤ55:10〜11です。
“雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も、むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす。”  この御言葉はただの雨と雪を説明するためではありません。預言者イザヤが雨と雪を通して語ろうとしたことは、“わたしの口から出るわたしの言葉も、むなしくは、わたしのもとに戻らない”という、神の御言葉は決して失敗することなく、必ず成し遂げられるという確信に満ちています。神の御言葉はどんな人であっても、どのような状況の中であっても、必ず御心のままに成し遂げられるという絶対的な確信の告白なのです。
 御言葉は私たちの魂に栄養を供給する糧です。ですから、信仰が成長していくクリスチャンは日ごとに魂の糧である御言葉を食べ、その御言葉の中で神を見出します。詩編81:11には、  “口を広く開けよ、わたしはそれを満たそう。”という言葉がありますが、その通り、成長するクリスチャンは、日々神の御言葉に飢え渇き、慕い求める人です。そこで、神はその人を養い、成長させてくださるのです。しかし、一つ確かなことは、その人は一瞬に変わることはないということでしょう。時間をかけて、毎日御言葉を食べ、御言葉に触れる中で徐々に変わっていくのです。 
 神の御言葉は雨のように、水のように静かに、また優しく私たちの内に入ってきますが、ゆっくりと私たちの頑なな心に影響を与えます。私たちの日々の御言葉の黙想、ディボーションは神の御言葉を私たちの心と生活の内に受け入れる行為です。その御言葉が私たちの魂の栄養となり、細胞となり、血となり、筋肉となって、私たちを成熟したクリスチャンとしてくれるのです。
“わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり、わたしの道はあなたたちの道と異なると、主は言われる。天が地を高く超えているように、わたしの道は、あなたたちの道を、わたしの思いは、あなたたちの思いを、高く超えている。(イザヤ55:8〜9)” 大切なことは、あなたへの神の御心、神の道を教えていただくことです。あなたへの神の御心、神の道を知って歩む人生ほど素晴らしく幸いな人生はないからです。時々、あなたの思いと期待通りにことが進まなくても、父なる神を信頼して歩むことです。なぜならば、わたしの思いより神の思いが最善だからです。神はその神の御心と神の道を私たちに教えるために、生きて働く御言葉を与えてくださったのです。ハレルヤ!