2017.8.6

『 ゆるし 』 (マタイによる福音書18:21〜35)
 私たちは平和を覚える8月を過ごしながら、主にある真の平和を祈っています。
とりわけ日本が含まれている極東アジアは、北朝鮮によるミサイルや核実験、それに関わるアメリカと中国、ロシアの対応を見ると、戦争が起きてもおかしくないような近頃です。皆さんは最近の世界情勢に触れながら、最も求められることは何だと思いますか。・・・私に示されているのは「ゆるし」です。
 イエス様の当時、イスラエル社会は、裁きと告発、批判で満ちていました。“3回まではゆるしなさい。しかし4回目は絶対ゆるしてはならない。”という戒めが公に教えられていたことが記されるほどでした。そのような社会的雰囲気の中で、弟子ペトロがイエス様に一つの質問を投げかけます。
「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」(21節)この質問には、“先生、ファリサイ派の人たちは2回まで、またラビたちは3回までと言っていますが、私たちイエス様の弟子たちであれば、7回くらいゆるしてあげればいいしょうか”と誇らしげに言っているペトロの姿があります。
 ところが、ゆるしの質問はしているものの、イエス様が伝えようとされた本当のゆるしの本質は知らなかったことが分かります。そうです。「ゆるし」を数えはじめることで、もうゆるしではなくなるのです。
 その時聞こえてくるイエス様の声に耳を傾けましょう。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」(22節)・・・7回×70倍ですから、490回ゆるしなさいという意味でしょうか。それから491回目からは決してゆるしてはいけないということでしょうか。・・・いいえ、これは無制限のゆるしを教えられる場面です。イエス・キリストは絶えずゆるされるお方、生涯そのものがゆるしの生涯であったことを聖書は教えているのです。
 そこで語られたのが、「仲間を赦さない家来のたとえ」でした。まず、決して返済することができないほどの借金をしていた家来、その借金を帳消しにしてあげる王、帳消しにされた家来にわずかな借金をしていた仲間が登場します。そして主イエスは、“あなたこそ、決して返済することのできない借金を神から帳消しにされた人ではないか。”と私たちに問いかけられます。
 愛する皆さん、ゆるしが人を変え、世界を変えます。イエス・キリストの十字架を通して神が私たちの過去、現在、未来の罪をすべて赦してくださり、神の子どもにしてくださったその愛のゆるしのゆえに、私たちは新しく生まれたことを心に刻みつつ、世界の人々にゆるしによる主の平和を広げなければならないのです。ハレルヤ!