2017.8.27

『主よ、あなたはどなたですか?』  (使徒言行録 9章1節〜6節)
 今朝の奨励で示された聖書の箇所「サウロは地に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた。『主よ、あなたはどなたですか?』」このサウロ、つまりパウロイエス・キリストの迫害者から伝道者へと変えられたこの回心の告白は、使徒言行録の中に3回出てきます。22章6節〜8節パウロエルサレムユダヤ人に捉えられた際の民衆の前での弁明と26章12節〜15節囚人としてローマに送られる前にアグリッパ王とフェストゥス総督の前での弁明の3回です。
 パウロは、イエス・キリストを直接知る弟子ではなく、むしろ迫害者であるにもかかわらず、神様から一方的に選ばれ、イエス・キリスト使徒として、特に、異邦人を救いに導く伝道者としての使命を与えられた出来事は、極めて不思議で、俄かには信じがたく作りごとに思われます。しかし、旧約聖書から新約聖書に至る全体の構造の中で、聖書を読めば読むほど2千年の時を経ても、このパウロの回心の出来事とその後の伝道の歩みは、イエス・キリストの福音の拡がりと鮮やかに確かなものとしてつながります。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」(ヨハネ3章16節)というメッセージは、パウロの残した多くの手紙によって、かみ砕かれた言葉として説得力をもって私たちに今も語りかけます。
 パウロは、キリキヤ州タルソス生まれのローマ帝国市民のユダヤ人として、死者の復活を信じるファリサイ派に属する熱心なユダヤ教徒であり、ギリシャ語もヘブライ語も堪能に話せます。テント造りを生業としつつ、議論にたけており、熱心さのゆえにユダヤ教の律法と秩序を破壊するように思える、イエスによる救いを信仰する新しい教えに反対して、積極的に迫害に加わっていました。
 パウロの回心は、「たちまち目からうろこのようなものが落ち、元どおりに見えるようになった。」と伝えられています。イエスに救われキリスト教に導かれた私たち一人ひとりもそれぞれが神様に選ばれた者として今を生きています。それは、私たちに特別な才能や知識があるからではなく、パウロがキリストの迫害者としての経験によって選ばれたように、私たちも与えられている場所と経験によって選ばれているのだと思います。特に、負‐マイナスと思われる経験や性質がイエス・キリストの福音のためにもちいられるのではないでしょうか。「主よ、あなたはどなたですか?」と問いかけたとき、私たちの目からもうろこが落ちるのではないでしょうか?      
                          証し:島田茂