2017.9.3

『ただ、信仰によって』宗教改革の先駆者たち〜 (ローマの信徒への手紙8:35〜37)
 今週から私たちは、宗教改革500周年を迎えて宗教改革者たちの信仰を分かち合うことで恵みをいただこうとしています。
 多くの人は宗教改革の始まりをマルティン・ルターが95箇条の論題をヴィッテンベルク大学の聖堂正門に貼り付けた1517年と見ています。そして今年はちょうど500周年になる記念すべき年であります。しかし宗教改革の歴史は1517年10月31日、突然訪れた恵みではない。ルターが歴史の全面に出る前、歴史を支配される神は長い年月を通して宗教改革の備えをしてこられたのです。堕落した教会の改革と聖書信仰の復興のため、命をかけていた宗教改革の先駆者たちがいたことを忘れてはなりません。その先駆者の中で浮き彫りになっている二人の人、イギリスのウィクリフと、ボヘミアヤン・フス。本日はその二人を中心に、主の恵みをいただきたいと思います。
 主イエスが昇天されてから4世紀の初期までのキリスト教会は、ローマ帝国より様々な迫害を受けていました。しかし、そのような迫害の時代であっても、キリスト教会は旧・新約聖書の正典を完成し、カタコムの地下教会での純粋な信仰を守り続けていました。ところが、ミラノ勅令により、信仰の自由を保障され、キリスト教がローマの国教になることによって、地下にいた教会は地上の教会として、しかも圧倒的な力をもつようになりました。王や貴族たちがクリスチャンになり、王宮のように立派な礼拝堂が次々と建てられ、聖職者たちが大きな力を振るう権力者に変わっていきます。政治と教会が癒着してしまう歴史が始まったのです。国と教会が密接な関係を築く中、教会は信仰の純粋さを失ってしまい、堕落の道を歩むことになります。その教会の堕落の極めとなったのが、免罪符販売の問題でした。免罪符販売は後の宗教改革の火種となります。
 そんな中、14世紀半ば、イギリスのオクスフォード大学で神学と哲学を教えていたジョン・ウィクリフは、ローマ・カトリック教会教皇を攻撃し、非難した最初の人となりました。彼は聖書の御言葉に照らして、ローマ・カトリックの伝統を具体的に批判しながら、「すべての人は各自が聖書を学び探求する権利があると、聖書は神の権威で満ちていて、御言葉はどんな人でも救いに導くため、単純に理解できるようにしなければならない」と主張し、ラテン語聖書を英語で翻訳することになります。またボヘミアヤン・フスは、ウィクリフの神学や主張に魅了され、聖書に基づく教会改革を情熱的に伝え続けた人でした。フスもウィクリフ同様、教会の絶対的な基準こそ、キリストの教えであって、キリストの教えは聖書にあるとし、「教皇と聖職者の権威はキリストの御言葉に従う時のみ認められる」と語っていました。後に二人ともローマ教皇庁より異端とされ、殉教の道を歩むことになります。
 宗教改革の先駆者たちは、ただ神の御言葉のみ信じつつ、主イエスの歩まれた十字架の道に従いました。まさに宗教改革は神の愛のしるしである十字架にすがりつつ、勝利者の道を歩む人によって成し遂げられるでしょう。