2017.9.10

『ただ、信仰によって②』マルティン・ルター〜 (詩編46:1〜12)
 本日の詩編46編は宗教改革者のマルティン・ルターによって有名になった詩編として知られています。ルターはこの詩編46編を歌いながら、巨大なローマ・カトリックが支配する世界とその伝統と戦いながら福音による自由と恵みの信仰を訴え続けたのです。
 1483年ドイツの裕福な鉱業家の息子として生まれたルターは、もともと法学を専攻していた学生でした。しかし、若いルターにはなかなか解決できない悩みがありました。それこそ、罪の問題でした。ルターはとても真面目で、彼は適当に罪と妥協して生きることが許せなかった人でした。やがてルターは、法学をやめ、修道院に入り、徹底して修道院の規則を守り、断食と罪の告白(懺悔)、自己否認、人への施しなどを繰り返すことを通して救いを得ようとしていました。しかし、いくら断食をし、心を鍛え、善い行いをしても罪責から逃れることはできませんでした。
 そのようなルターの人生の転機が訪れたのは、ヴィッテンベルク大学で聖書学の教授になった時でした。1515年、ルターはローマの信徒への手紙を黙想する中で“福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。(ローマ1:17)”の御言葉に心打たれ、「ただ、信仰によってのみ救われる」という信仰義認の確信に至るのです。この時からルターは“信仰のみ、恵みのみ、聖書のみ”という宗教改革の三大原則を掲げることになりました。すなわち、信仰によってのみ救われるのであれば、当時の世界を支配していたローマ・カトリックの司祭による執り成しの伝統は要らなくなるのです。しかも免罪符販売による天国への約束の教えがいかに空しいかを知っていたルターは、95箇条の論題をヴィッテンベルク大学礼拝堂の正門に貼りつけることによって、ローマ・カトリックの間違いを公に指摘したわけです。その後、95箇条の論題はドイツ語で翻訳され、全ヨーロッパにたちまち広がることになります。これに対しローマ・カトリックは彼を異端と定めることになります。彼は意図していなかったですが、神は彼を宗教改革の先頭に立たせ、聖書翻訳、万人祭司論という福音を明らかにされたのです。ルターは絶えず、「信仰の土台は聖書のみ」であることを訴え続けました。1521年ヴォルムス帝国議会においては、ローマの教皇庁に彼の主張の撤回を求められた時、「我ここに立つ」という言葉をもって聖書のみの信仰を貫き通したことは有名な話です。
 私たちの生活においても、様々な苦難が絶えず襲ってきます。そのような苦難を前にして、私たちのちっぽけな力では、やがて疲れ果て倒れてしまうのです。しかし、本日の詩人のように、自分を頼りとせず、力を捨て、神の前に静まり、万軍の主の圧倒的な力に依り頼み、ルターのように賛美の声を高く上げることです。そうすれば、神は「必ず、そこにいまして助けてくださる」のです。これはいかに素晴らしい約束でしょうか。私たちの避けどころ、私たちの砦、苦難の時、必ずそこにいまして助けてくださる神の約束を信頼し、祝福の日々を過ごして参りましょう。ハレルヤ!