2017.10.1

『ただ、信仰によって③』 〜ツヴィングリ〜 (ローマの信徒への手紙10:14〜17)
 ルターより始まった本格的な宗教改革のバトンを受け継いだ人が、スイス生まれのツヴィングリでした。ツヴィングリはルターが生まれてからちょうど2ヶ月後、スイスのトッゲンブルク州の裕福な農家で生まれました。ツヴィングリのお父さんは地元の有力者であって、彼はマルティン・ルターのお父さん同様、息子のツヴィングリを最も優れた学問を受けさせるため、スイス最高であったウィーン大学バーゼル大学で学ばせました。
 ツヴィングリは子どもの時から祖国スイスへの愛国心が格別だった人で、後の彼の伝記を書いていた作家たちはそろって、“ツヴィングリは根っからのスイス愛国主義者であった。”と記すほどでした。マルティン・ルターが個人の信仰の葛藤とカトリック教会の腐敗に悩んで宗教改革の道に入ったのに対して、ツヴィングリは祖国スイスの社会と民族の問題で悩んでいく内に宗教改革の道へと入ったわけであります。
 ツヴィングリの宗教改革は大変過激なものでした。ローマ・カトリックの伝統と象徴を容赦なく除去していきました。礼拝堂の燭台、聖人像、聖画、聖職者の礼服、十字架など見えるものを徹底して排除していきました。マルティン・ルターは「聖書が禁じていないことは行ってもよい」としていたことに対して、ツヴィングリは「聖書が命じていないことは決して行なってはならない」としていたのです。ツヴィングリの改革の結果、礼拝は簡略化され、牧師たちによる御言葉中心の説教が行われるようになりました。また信徒たちの理解できないラテン語ではなく、分かりやすい母国語で聖書を朗読し説教をすることに変わったのです。ツヴィングリもルター同様、「聖書のみ、信仰のみ、恵みのみ」という宗教改革の原則を明確に立っていました。彼の書いた本の中で、「信仰だけが人間の罪の赦しの確かさを与えてくれる。これが私たちの信仰と、私たちが神の恵みによって宣べ伝えている教えの要点である」と語り、「私たちの教えていることは、ことごとく聖書から学んだことである」と語り、彼が御言葉をいかに大切にしていたのかが分かります。
 聖書の御言葉から少しの違いも許さなかった改革者ツヴィングリ。また彼は祖国スイスを愛し、スイス社会全体を改革しようとした真の改革者でした。彼は常に御言葉に立って、“どうすれば神の喜ばれる正しい教会と社会を築いて行けるか”を一生の課題としていました。チューリッヒには、聖書と剣を一緒に手にもっているツヴィングリの像が立っています。聖書の御言葉を握りつつ、教会と社会全体を改革するために命をかけて戦ったツヴィングリの改革精神、その精神は後にカルヴァンに受け継がれ、その後イギリスの「ピューリタン(聖くする)」に続いていくことになります。
“実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。(ローマ10:17)”