2017.11.5

『 どのようなときも 』 詩編34:1〜9)
 今日の詩編34編は、ダビデがサウル王から身を避けて、異邦の国ガトに逃れましたが、かつてガト人ゴリアテを倒した者であることが発覚したときのものです。まさに絶体絶命、命が危うい状況で、ダビデは狂気の人を装い、ようやく危機から脱することになります。その後、ダビデは本日の賛美の詩編をもって神の守りと助けを歌ったのです。
“どのような時も、わたしは主をたたえ、わたしの口は絶えることなく讃美を歌う。わたしの魂は主を讃美する。貧しい人よ、それを聞いて喜び祝え。わたしと共に主をたたえよ。ひとつになって御名をあがめよう。(1〜4)”
 苦しみの経験をもっていない人はいません。しかも一つの苦しみだけでも辛いのに、それが重なることがあり、苦しみが波のように押し寄せてくるような時が来ます。まさにダビデの状況がそうでした。しかしダビデは神の方に目を向け、神の助けを信頼し苦しみからくる「恐れ」を祈りと賛美に変えていきます。
 わたしたちが覚える「恐れ」というのは、目に見える存在よりも、心に潜んでいる「恐れ」という感情によるものであることを覚えましょう。ダビデは今まで何度も、目に見える敵、しかも強力な敵を前にしていました。羊飼いをしていた時戦っていた獅子、巨人ゴリアテ、そして最強の敵であったサウル王が彼の前に立ちはだかっていました。皆さん、敵を前にする度に、恐れは最高潮に達するはずです。しかし、聖書はダビデがそれらを前にして恐れなかったと記しています。その理由こそ、ダビデは頼るべき方がいたからです。彼は絶えず神を呼び、神を頼りとしました。ダビデが信頼していた神は、いつも共に歩まれ、ダビデが呼び求めると必ずそこにいて助け出してくださる神であったのです。
 今日の詩篇に強調されているのが“常に”という言葉でしょう。“脅かすものから常に救い出し、苦難から常に救ってくださった。(5,7,18節)”・・・わたしたちの日々の中、常に問題が生じ、常に恐れに陥れようとすることが起きます。しかし私たちの傍らには“常に”主が共に歩まれるため、私たちは“常に”祈ることができます。父なる神は、常に子どもたちの叫びを聞いてくださり、一時も耳をふさぐことはなさらない。神は常に助けと救いをもって応えてくださると、ダビデは声を上げて証ししているのです。
 愛する神の家族の皆さん、クリスチャンの信仰は、この“常に”という言葉に現われていることをぜひ覚えてください。悩み苦しみも波のように押し寄せてくると思いますが、私たちは“常に”神を求め、“常に”神を讃美し、“常に”神と交わることができます。あなたの24時間、365日、あなたの生涯を通じて、神は「常に」私たちに目を注ぎ、耳を傾けてくださり、救い出してくださるのです。だから私たちもこのダビデの歌を歌うことができるのです。ハレルヤ!