2017.12.17

『御心のままにルカによる福音書1:26〜38)
 本日の聖書箇所は、主の天使がマリアに告げた「受胎告知」の物語です。マリアは、自分が「いと高き方の子」を産むという衝撃的な知らせを天使のガブリエルから受けることになります。まだ結婚もしていないし、男の人を知らないおとめマリアでした。そんな彼女に子どもができる、しかもその子が“いと高き神の子”となる、今まで待ち望んでいたメシアが彼女を通して生まれるという、どうしても信じられないことを告げられたのです。そのことを誰が理解でき、誰が信じ得ましょうか。またどんな女性がそのことを引き受けることができましょうか。しかし、マリアは言います。「お言葉とおり、この身になりますように」と。
 私たちはよく、「御心のままに」と告白する時、まるで諦めや自暴自棄の意味で使っているのではないでしょうか。しかし、クリスマス物語の中におけるマリアの言葉、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」は決して諦めや自暴自棄を表しているのでなく、むしろ信仰による確信と積極的な従順の意味を含んでいることが分かります。ここでマリアにはまず、自分自身の存在が神のはしため、すなわち神の御手にあるものとしての自覚がありました。だからこそ「自分に示された神様のお言葉どおり、自分の人生と自分の身に成し遂げられるように」と告白できたわけです。このように、マリアの言葉は決して諦めや自暴自棄の言葉ではなく、むしろ自分の人生をまるごと神様のご計画に委ねる、自分の人生を献げる、という決意表明だったのです。ただしこの時のマリアには、天使から受けた言葉が全て理解できたわけでも、納得できたわけでもなかったことでしょう。突然のことで何が何だか訳が分からなかったのだと思います。けれども彼女は、天使の言葉を神様からの言葉として受けとめ、これから先、どんなことが起こるのか全く分からないままに、ただ神様を信じて、全てを御手に委ねようと決断したのです。
 クリスチャンの信仰を一言で「アーメンの信仰」と言えましょう。アーメンとは「その通りです。信じます。その通りになりますように」という意味を持っています。神は御業を成し遂げられる時、必ず「アーメン、御心のままに」と告白し受け入れる人を通して御業を進めていかれました。とりわけ聖書のクリスマスの物語の中には「アーメン」と応答した人たちが多く登場します。マリアに加え、ヨセフ、エリザベト、ザカリア、東方の三人の博士たちなどの人たちの「アーメン」の信仰が一つとされて美しい物語が出来上がったのです。神は、今もわたしたちの「アーメン」の応えを望んでおられます。わたしたちの頭では理解に苦しむことであっても、周りから批判を受けるかもしれないことであっても、神はわたしたちの「アーメン」を求めておられる。そして救い主は「アーメン」と応えた人の内にお生まれになるのです。
 私たちが心から「アーメン、御心のままに」と祈り、神の御手に私たちの人生をおゆだねすることができれば、そこからクリスマスの物語が始まるのです。そうです。クリスマスは「アーメン、主のお言葉とおり、この身になりますように」と応える人に与えられる恵み、奇跡の生きた物語なのです。ハレルヤ!