2017.12.24

〜主にある平安〜
 M兄の告別式から早くも1ヶ月が経ちました。先週礼拝後の昼食の後、兄と並んで食器洗いをしたことを想い出しました。不思議と楽しい共同作業で、兄と一緒にする食器洗いや草刈りが楽しみになっていたことに気づかされました。
 M兄が天に召される前の週に、YMCAの聖書日課に従いエゼキエル書 18章を読んでいました。 21節「悪人であっても、もし犯したすべての過ちから離れて、わたしの掟をことごとく守り、正義と恵みの業を行うなら、必ず生きる。死ぬことはない。‐彼がその道から立ち帰ることによって、生きることを喜ばないだろうか。」という箇所に不遜ながら兄のことを思いました。兄は、若い日々に深い罪を犯され、償いの人生を歩まれました。イエス様に見いだされ、閔先生との出会いになかで、罪を悔い改めて救いの道を歩み始められました。神様は「立ち返った」M兄を喜び、永遠のいのちの道に招かれたのだと思いました。
 イエス様は、私の中に罪があること、罪人である自分こそ「立ち返」らなくてはならない存在であることを教えてくれました。「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マタイ9:13b)クリスマスの日、イエス様を与えてくださった神様に感謝し、M兄の天国での平安を祈りに覚えたいと思います。   
                S.S兄